小澤いぶき(おざわ・いぶき) 児童精神科医、認定NPO法人PIECES 代表理事/Reframe Lab
精神科医を経て、児童精神科医として複数の病院で勤務。トラウマ臨床、虐待臨床、発達障害臨床を専門として臨床に携わり、多数の自治体のアドバイザーを務める。人の想像力により、一人ひとりの尊厳が尊重される寛容な世界を目指し、認定NPO法人PIECESを運営している。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
コロナ危機の今だからこそ、子どもが心置きなく遊べる環境は失われてはならない
生きていく過程で、私たちは常に何らかの混乱や危機に直面します。
危機はそれこそさまざまです。温暖化など地球環境の危機。異常気象による災害危機。グローバリズムの進展に伴う世界的な経済危機。体制の違いや民族紛争などに端を発する戦争の危機。民主主義の危機。そして、いま世界を震撼とさせているCOVID-19による感染症の危機……。
さらに、“解像度”を上げてみると、私たちの身の回りにも、実にさまざまな危機がある。コンビニですれ違った若者が、今日食べるものがない逼迫した状況かもしれない。あるいは、道ですれ違ったあの人は、明日の住む家がない状況かもしれない……。
こうした危機に際し、何より大事なのは、物理的心理的な安全です。そのような環境が担保されたうえで、私たちはそれを乗り越えていったり、自分なりに対応していくレジリエンス(強靱さ)を持っています。興味深いのは、レジリエンスを、私たちは子どもの頃、「遊び」を通じて培ってきたということです。
COVID-19は子どもたちの環境にも広く影響を及ぼしています。学校のイベントが二転三転したり、地域のお祭りが無くなったり……。この体験が子どもたちに与える影響はさまざまですが、ストレスがかかっている子どもたちも、少なくないかもしれません。
そんななか、子どもたちの遊びを観察すると、マスクやzoom会議、食卓の仕切りなど、登場するものが変化しています。現実に起きていることが、子どもたちの遊びに影響を与えているのです。つまり、子どもたちは遊びを通じて、複雑な状況を受け取って表現したり、「ものがたり」として再構築することで、変化する世界を生きています。
私はこれまで、児童精神科医として、トラウマケアなどを中心に、子どもや子どもを取り巻く環境に関わってきました。また、子ども、そして社会の「well being」を目指し、社会のなかにいきる私たち一人ひとりの市民性を醸成し、子どもたちの周りに「優しい間(ま)」を生む活動を幅広く行う認定NPO法人PIECESを運営。想像力を耕しながら多様な角度から世界をリフレーミングしていくプラットフォーム「リフレームラボ」で、キュレーターやクリエィティブディレクター、インタープリター、パフォーミングアーツのコーディネーターといった方々とともにプロジェクトを行っています。
そうした立場からすれば、危機が続く今だからこそ、子どもたちが心置きなく遊ぶことができる環境が失われないようにする必要があると思います。「安全」に遊べる場所が「不要不急」といわれることなく、社会に置かれていくことの大切さを、あらためて痛感します。
ここでいう「安全」は、いわゆる「大人にとって、危なくないから安心」とは少し違うかもしれません。危険がないということではなく、いろんなことに挑戦できるための「安全」な避難場所や「安心」な基地があるという意味です。「誰にとっての安全なのか」と問い、「それぞれにとっての安全は何か」を考え実践していくことは、例えばwell beingを考える時も、世界に生まれる境界線をリフレーミングしていく時も、大事にしています。
昨年度から、リフレームラボでは「みえないものと遊ぶ」をテーマに、さまざまなアーティストとの協働により、“ミエナイモノ”を感じ、体験し、その想像力を耕す「あそび」のプログラムを開発し、絵本や映像という形で日常に届けてきました。また、絵本や映像の空間を体験するための展示も行っています。その企画の一環として先日、「あそびを読み解く」をテーマにトークイベントを開催しました。
その中で、神話学者の石倉敏明先生は「神話や物語は解決や正解を与えるのではなく、解けない矛盾があったとしたら、解けないままでもあり得るさまざまなバージョンを想像し、体験する面白さがある」と語り、ミュージアムエデュケーターの会田大也さんは「子どもたちは遊びを通して自分たちでルールを決め、変えていく自治の可能性を体験している」という事例を紹介されました。また、臨床心理士の新井陽子さんは「あそびとは、考えることを奪わない場所である」とファンタスティックリアリティの可能性に言及されました。
本稿では、そんなさまざまな豊かさを持つ「遊び」について考えてみたいと思います。