西郷南海子(さいごうみなこ) 教育学者
1987年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)。神奈川県鎌倉市育ち、京都市在住。京都大学に通いながら3人の子どもを出産し、博士号(教育学)を取得。現在、地元の公立小学校のPTA会長4期目。単著に『デューイと「生活としての芸術」―戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学学術出版会)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
コロナの制限下でも、小さな疑問を次の学びにつなげる夏にしよう
現在、日本各地の教育現場には、子どもたちの発言方法や作文方法に、統一的なやり方(「スタンダード」)が進出している。たとえば、授業中に手を挙げた子どもは、教師に当てられた場合、立ち上がり、椅子を机の中に納め、それからやっと発言が許されるといったようにである。この場合、その動作をやることに一生懸命になり、肝心の発言を忘れてしまう場合もある。また発言するとしても「◯◯さんと一緒です」とだけ言って、着席する場合も多い。たとえ「◯◯さんと一緒」だとしても、何がどのように一致したのかは述べられていない。
その他にも、ハンドサインの多用も見られる。グー、チョキ、パーをそれぞれ「賛成、同じです」「反対です」「つけたします」に割り振り、それを授業中に掲げるのである。教室の前方の壁は、発話やハンドサインのルールが大きく書かれた紙がたくさん貼ってある。
こうしたテンプレート的な発話の教育現場への浸透はいつ頃から進んでいったのだろうか。