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8月6日の「原爆の日」に、五輪選手に黙とうを呼びかけることへの私の違和感

被爆者の体験を伝えてきた一人の人間として

乗松聡子 国際平和博物館ネットワーク共同コーディネーター

 8月6日、広島の「原爆の日」が、東京オリンピック開催期間中であることから、「8月6日午前8時15分に黙とうを」という呼び声がある。

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会によると、広島市から国際オリンピック委員会(IOC)に対して、8月6日に選手らに黙とうを呼びかけて欲しいなどという要請があった。黙とうを求める電子署名も集まっており、SNSなどでも「日本全国が黙とうするのに、なぜオリンピックだけしないのか」といった声があがる。これに対し、組織委は黙とうを呼びかける対応はしない方針を明らかにした。

 私は、1995年から続いている日米大学生の広島・長崎の旅に2006年以来通訳として参加するようになり、通訳や翻訳を通して被爆者の体験を伝える仕事をしてきた。今は故人となられた谷口稜曄さん、中沢啓治さん、岩佐幹三さんらの壮絶な被爆体験と反核平和への決意を通訳として伝えてきた。それぞれの方々の生の声は、いまでも脳裏に焼き付いている。

 しかし、私は、今回のオリンピックにおける日本国内からの「黙とう」への呼びかけについては、疑問を感じざるを得ない。

原爆投下時間に合わせ、黙とうする人々=2020年8月6日午前、広島市中区拡大原爆投下時間に合わせ、黙とうする人々=2020年8月6日午前、広島市中区

 広島・長崎の運動に関わってきた人間がどうしてこのような主張をするのか、と反発を感じる人もいるかもしれない。私はこれまで20年ほど、アジア系の仲間たちとともに戦争記憶を共有し、中国や韓国、朝鮮、東南アジアに足を運んで平和のための活動に携わってきた。

 そのような一人の人間の見方として、なぜオリンピックで世界各国から集まってきた選手らに一律に黙とうを呼びかけることに疑問を持つのか、耳を傾けてほしいと思っている。

日本人が広島・長崎や空襲を語るとき、念頭に置くべきこと

 私は通算25年間カナダに住んでいるが、高校留学した際には「日本人なら広島・長崎の体験を伝えることが大事」という感覚を持っていた。しかし、留学先で日本とそれ以外の国での戦争の記憶のとらえ方の違いに直面した。フィリピン、シンガポール、インドネシアなどの友人たちから、戦争中の日本軍の残虐行為について聞かされたのだ。

 日本の学校で全く教わっていなかったこともあり大変なショックだった。当時の自分の戦争についての理解は、日本が受けた被害に限定されており、大変浅く偏ったものであったことを突きつけられたのである。

 日本は開国以来、欧米列強に追いつくべく、強大な武力をもって植民地支配と侵略戦争でアジア太平洋全域に帝国を拡大した。広島や長崎を含む日本の空襲被害は、帝国滅亡の最終段階で米国が行った民間人の大量虐殺であり、その犯罪性は疑問を差し挟む余地もない。

 しかし、海外で原爆展を行い、アジアや欧米の友人たちと歴史を語るにつけ、日本人が広島・長崎や空襲を語るときは、原爆に至るまでに日本が70年余にわたりアジアの同胞に対し残酷な支配・強制動員・殺戮を行ったことや、連合軍捕虜を虐待した歴史を念頭に置かなければいけないと思うようになった。


筆者

乗松聡子

乗松聡子(のりまつ・さとこ) 国際平和博物館ネットワーク共同コーディネーター

英文オンラインジャーナル The Asia-Pacific Journal: Japan Focusエディター。編著書に、『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』(金曜日、2018年)、ガバン・マコーマックとの共著 Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2018) など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです