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五輪開催とコロナ対策の二兎を追った菅首相の失態とメディアの責任

歴史的な疫病下で開かれた東京五輪が日本に残した命の危機と政治不信と社会の分断

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

 新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、東京五輪が閉幕した(7月23日~8月8日)。菅義偉首相は官僚や閣僚が五輪中止を求めているにもかかわらず、開催を強行。一方で、これまでに経験したことのない勢いでコロナ感染者が急増した。

 病床の不足などから医療崩壊に直面した政府は、感染者の入院制限を発表、現代版「棄民政策」とも批判された。五輪開催と感染拡大防止の二兎を追い、政権浮揚をねらった菅首相のもくろみは頓挫することになった。

 酷暑の夏に開催された屋外競技では、倒れるアスリートや棄権者が続出、あえぎながらマラソンや競歩をする選手の姿には、「虐待」に近いものさえ感じた。コロナ下の五輪を開催する意義について、菅首相をはじめ開催都市の小池百合子・東京都知事、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長らは、丁寧に説明し国民の理解を得ようとはしなかった。

 メディアは史上初めてとも言える疫病下の五輪をどのように報じたのか。①五輪の政治利用②国家主義③商業主義――の三つの観点から考えてみたい。

東京五輪の閉会式に出席する(右から)菅義偉首相、小池百合子・東京都知事、橋本聖子・大会組織委員会会長ら=2020年8月8日、国立競技場

「政権浮揚の起爆剤」は不発

 「五輪の政治利用」は古くて新しいテーマで、古くは1936年に開催されたナチスドイツ主催のベルリン五輪にさかのぼる。今回も自民党の河村建夫・元官房長官は日本選手が活躍すれば政権に「大きな力になる」と発言。野党は「政治利用ではないか」と反発した。

 支持低迷にあえぐ菅首相だが、五輪がはじまれば国民が夢中になって、空気が変わるともくろんでいた。日本勢は地元開催という地の利もあってメダルこそ多く獲ったが、首相が期待した「政権浮揚の起爆剤」には至らず、不発に終わった形だ。

 朝日新聞の世論調査(8月7、8日実施)では、菅内閣の支持率は28%と昨年9月の発足以来、初めて3割を切った。支持率が3割を割ると、政権の「危険水域」と言われる。また、朝日新聞に比べると、支持率が高めに出る読売新聞の世論調査(8月7~9日)でも、支持率35%と内閣発足以降の最低を更新した

目に余ったIOC幹部の横暴

 IOC幹部の横暴も目にあまった。

 最古参のパウンド委員は「予見できないアルマゲドンでもないかぎり(東京五輪は)実施できる」と語り、バッハ会長は「リスクはゼロ」と述べた。また、大会開催中の記者会見でアダムス広報部長は「どうみても、彼ら(選手や関係者)は異なるパラレルワールド(並行世界)に住んでいる」と言い放った。東京五輪と日本のコロナ禍は別世界で進行しているとの認識だ。

 IOC幹部のこうした発言は、日本国民を愚弄しているとしか思えない。だが、五輪を政治利用したい政権は、こうしたIOC幹部の「暴言」も些末なこととばかりに聞き流し、特段の反論や抗議の声をあげなかった。メディアの報道も発言を伝えはしたが、批判の舌鋒は鈍かった。

会見するIOCのトーマス・バッハ会長=2021年7月17日、東京都江東区

視野の狭い「日本ローカル」版報道

 五輪を見ていて気になるのは、「国家主義」が前面に出ることだ。先に述べた「政治利用」とも通底するのだが、今回の東京五輪でも日本のメディアは従来通りのメダル争奪戦を軸に、日本選手にスポットライトを当てる報道に終始した。どこか“国威発揚”を感じさせ、違和感を禁じ得ない。

 読売と産経新聞は日本選手のメダル獲得を連日のように1面トップで伝えた。選手の写真を大きくふんだんに使ったのも印象的だった。朝日、毎日新聞はトップでなく2番手、3番手にメダル報道を据えるケースが見られたが、スポーツ面から社会面へと日本選手の感動、成功物語があふれた。

 新聞、放送ともに海外選手の活躍をみることがほとんどできず、視野の狭い「日本ローカル」版のような報道になった。

「戦争報道」と重なる「五輪報道」

 私はかねてから「五輪報道」と「戦争報道」は酷似しているという問題意識を持ってきた。ひたすらメダルの数を報道するメディアの姿と、自軍の戦況を刻々と伝える従軍記者による報道の姿が重なってみえるのだ。

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