保育士が見た新型コロナ禍の保育現場~感染対策を優先して山積する矛盾と混乱
2021年08月29日
保育士が見た新型コロナ禍の保育現場~感染防止という名の思考停止への危惧
保護者の方々は今、どんな気持ちでお子さんを園に預けていらっしゃいますか。「働かなくて済むのなら共働きをやめて子どもと一緒に過ごしたい」でしょうか。きっと、そういう意見を持った保護者もいるでしょう。でも、ついこの間、保護者の方からこんな言葉をかけられました。
「感染の不安もあるのに、開園してもらって助かります。感染対策をしっかりしてくださっているので、安心して預けられます。実は、長い時間子どもと一緒にいるのは、結構しんどいのですよね」と。
保護者の方は正直に感謝の気持ちを表してくださっただけなのだと思いますが、私はこの言葉に胸が疼(うず)きました。なぜなら、保育園は子どもを預かってくれるだけでいいという保護者の認識が、言葉の奥に垣間見えたからです。
保育園は、ただ子どもを預かっていればいいのでしょうか。
新型コロナウイルスの感染拡大で休園をする保育所が全国的に増えています。保育園の役割とは何なのか。本稿では、それについて考えてみたいと思います。
子どもを預かってもらえることが、保護者にとってありがたいというのは分かります。待機児童の問題が騒がれたのは、記憶に新しいところです。
この問題の原因の一つとして、保育士の不足があげられました。保育士資格を持っている人たちに、子育てを終えた後、復帰を促していたことも知っています。しかし、重労働や低賃金などの待遇が理由で、現場に戻りたくないと答える人が多数だったとか。これは、今も引きずっている問題でもあり、おおいに頷(うなず)きますが、今日の論点ではありませんので、別の機会に書いてみたいと思います。
一方で、保育園が足りないなら、作ろう!と、多くの人たちが立ち上がりました。それ自体は悪いことではないのですが、動いた人たちの中に保育の専門家ではなかった人たちが含まれていたので、おかしなことも起きました。
こんな事例を聞いたことがあります。午睡時間(=お昼寝のこと)にAI機能の付いたカメラで赤ちゃんを映し、モニターで赤ちゃんの様子を伺っていたというのです。何かあった時の責任は誰がとる?ということ以前に、いくら人件費削減のためとはいえ、モニターを通じて行う保育など、あってはならないことだと思います。
あまりに突拍子もない事例で、論点が少しずれているように思われるかもしれませんが、私が言いたいのは、こうした事例が「ただ預かってくれればいい」という保護者のニーズに答えた結果、生じたということなのです。
コロナ禍における保育園は大丈夫でしょうか。「感染対策」の名の下に、意識しないうちに、保育園が果たすべき役割を果たせていないのではないか。もっと言えば、最悪の保育が行われていないか、見直さなくてはいけません。
厚生労働省編の保育所保育指針の中には、「保育所の役割」として以下のようなことが書かれています。
保育所は、保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。
「保育に欠ける子ども」とは、特別に過酷な状況に置かれていることのみを示すわけではなく、両親ともに働いていて、日中、子どもを見ることができないなどの状況にある子どもたちも含まれます。そうした子どもたちに、ここで言う「最善の利益」を充足する場所であることこそが、保育園の役割ではないかと、私は思っています。「利益」とは、「生きること」と言い換えてもいい。
そして、私にとって保育士としての一番の生きがいは、このことにかかわれるからといっても過言ではありません。
生きることとは何でしょうか。友だちと笑い合い、時に喧嘩すること。給食を食べること。思い切り走り回って遊ぶこと。信頼できる保育士に見守られ、自信をもって成長していくこと。その他にも、「生きること」のために保育園だから出来ること、大切にしたいことは、それこそ無数にあります。
ただ子どもを預かっているだけ、コロナの感染者を出さないことだけが、私たち保育士の仕事ではないのです。
新型コロナウイルス感染症が広まってから約1年半。保育士の間では次のような会話が今もかわされています。
「密になればなるほど、感染リスクが高まるよね。登園を自粛してくれないかな」
「感染防止のための消毒の時間が全然ない。もう少しお迎え、早く来てほしい」
「もしも感染したら、休園しなくてはいけないし、それでお互いに迷惑がかかると思わないのかしら」
保護者の方々からすると、首をかしげる内容かもしれませんが、保育者にとっては切実な声なのです。
これは保護者の方に問題があるのでしょうか。それとも、私たち保育者のわがままな問題提起なのでしょうか。どちらも違うと私は思います。
では、どうしてこのような感情が生まれてしまうのか。このようなモヤモヤについて話し合える場も時間もないからだと、私は思います。
ところが、事態を改善するための話し合いもないままに、私の勤めている保育園では、私の感覚としては、あってはならない自粛要請が行われたのです。
その内容はひどいものでした。
まず、数人でいいから登園を自粛してもらおうという対処方法を、園側がつくりました。理由は簡単です。子どもがたくさんいればいるほど、おもちゃなど消毒するものも、場所も広がるからです。「論座」前回の論考「保育士が見た新型コロナ禍の保育現場~感染防止という名の思考停止への危惧」で書いた、給食の時間に子どもたちを少人数で座らせるようにするという指示も、元はと言えばこの対処方法へのひとつの答えでした。
保育園には「対人数」という規定があります。保育者一人に対して0歳児3人、2歳児6人、というようなものです。これに則って単純計算をすると、数人に登園を控えてもらえば、少人数で給食を食べられる、保育士の仕事が軽減される。という考えに陥ったのです。
では、どの子に休んでもらうのか。ターゲットになったのが、保護者が産休育休中の子どもでした。
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