菊池刀子(きくち・とうこ) 保育士・イラストレーター
1991年生まれ。現在、都内で保育士として勤務。兼イラストレーター。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
保育士が見た新型コロナ禍の保育現場~感染対策を優先して山積する矛盾と混乱
コロナ禍における保育園は大丈夫でしょうか。「感染対策」の名の下に、意識しないうちに、保育園が果たすべき役割を果たせていないのではないか。もっと言えば、最悪の保育が行われていないか、見直さなくてはいけません。
厚生労働省編の保育所保育指針の中には、「保育所の役割」として以下のようなことが書かれています。
保育所は、保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。
「保育に欠ける子ども」とは、特別に過酷な状況に置かれていることのみを示すわけではなく、両親ともに働いていて、日中、子どもを見ることができないなどの状況にある子どもたちも含まれます。そうした子どもたちに、ここで言う「最善の利益」を充足する場所であることこそが、保育園の役割ではないかと、私は思っています。「利益」とは、「生きること」と言い換えてもいい。
そして、私にとって保育士としての一番の生きがいは、このことにかかわれるからといっても過言ではありません。
生きることとは何でしょうか。友だちと笑い合い、時に喧嘩すること。給食を食べること。思い切り走り回って遊ぶこと。信頼できる保育士に見守られ、自信をもって成長していくこと。その他にも、「生きること」のために保育園だから出来ること、大切にしたいことは、それこそ無数にあります。
ただ子どもを預かっているだけ、コロナの感染者を出さないことだけが、私たち保育士の仕事ではないのです。
新型コロナウイルス感染症が広まってから約1年半。保育士の間では次のような会話が今もかわされています。
「密になればなるほど、感染リスクが高まるよね。登園を自粛してくれないかな」
「感染防止のための消毒の時間が全然ない。もう少しお迎え、早く来てほしい」
「もしも感染したら、休園しなくてはいけないし、それでお互いに迷惑がかかると思わないのかしら」
保護者の方々からすると、首をかしげる内容かもしれませんが、保育者にとっては切実な声なのです。
これは保護者の方に問題があるのでしょうか。それとも、私たち保育者のわがままな問題提起なのでしょうか。どちらも違うと私は思います。
では、どうしてこのような感情が生まれてしまうのか。このようなモヤモヤについて話し合える場も時間もないからだと、私は思います。
ところが、事態を改善するための話し合いもないままに、私の勤めている保育園では、私の感覚としては、あってはならない自粛要請が行われたのです。
その内容はひどいものでした。
まず、数人でいいから登園を自粛してもらおうという対処方法を、園側がつくりました。理由は簡単です。子どもがたくさんいればいるほど、おもちゃなど消毒するものも、場所も広がるからです。「論座」前回の論考「保育士が見た新型コロナ禍の保育現場~感染防止という名の思考停止への危惧」で書いた、給食の時間に子どもたちを少人数で座らせるようにするという指示も、元はと言えばこの対処方法へのひとつの答えでした。
保育園には「対人数」という規定があります。保育者一人に対して0歳児3人、2歳児6人、というようなものです。これに則って単純計算をすると、数人に登園を控えてもらえば、少人数で給食を食べられる、保育士の仕事が軽減される。という考えに陥ったのです。
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