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五輪開会式中継で忘れられた手話通訳~取り残される人を減らすため一緒に考えて!

多様性と調和は「チョー難しい!! 」

藤木和子 弁護士・優生保護法被害弁護団

無観客の会場のスクリーンに映っているのに

 最近、手話通訳を首相会見等で目にする機会が増えていると思いますが、先月7月23日のオリンピック開会式は「多様性と調和」を掲げながら、テレビ中継に手話通訳がありませんでした。

 無観客の会場のスクリーンに手話通訳が映っているのがテレビでちらりと見え、「なぜ、テレビ中継では手話通訳を映さないのか!」と私の周囲のろう者・手話関係者は騒然となりました。このようにせっかく会場にいる手話通訳者がテレビ中継でカットされてしまうことは往々にしてありますが、まさかオリンピックの開会式でも起こるとは……。

五輪開会式の会場のスクリーン=NHKの中継映像から、筆者提供五輪開会式の会場のスクリーン=NHKの中継映像から、筆者提供

 私は、耳が聞こえないろう者の弟と手話で会話しており、弁護士・手話通訳者の立場でもありますが、オリンピックの多様性と調和の中で、その瞬間を分かち合えずに取り残された気持ちでいっぱいでした。今年3月の聖火リレーの出発式に手話通訳がなく、首相、五輪相が「配慮に欠けていた」等と国会答弁していました。それにもかかわらず、手話通訳はまたしても忘れられてしまったのです。

 その後、全日本ろうあ連盟や各地の加盟団体を先頭として、NPO法人インフォメーションギャップバスター、手話推進議員連盟等が、放送局のNHK等に、閉会式のテレビ中継には手話通訳を付けるように改善を要望しました。また、Twitter等のSNSでも「要望を届けよう!」という呼びかけが広がりました。私個人は、上記NPO法人の理事として、要望活動に微力ながら関わりました。

 本稿は、私が要望活動の中で実感した「多様性と調和」という究極のジレンマが「チョー難しい!!」難題であることを吐露するとともに、次の課題解決に向けて皆様のお知恵を借り、一緒に考えていただきたいという思いで叩き台として書きました。なお、「チョー難しい!!」は、同い年の金メダリスト、水泳の北島康介選手による名言、「チョー気持ちいい」からお借りしたことを申し添えます。

古川康総務大臣政務官(右)に五輪・パラリンピック開閉会式などでの情報提供面の合理的配慮を求める要望書を提出。左から永野裕子手話推進議員連盟代表世話人、筆者、伊藤芳浩NPOインフォメーションギャップバスター理事長=筆者提供古川康総務大臣政務官(右)に五輪・パラリンピック開閉会式などでの情報提供面の合理的配慮を求める要望書を提出。左から永野裕子手話推進議員連盟代表世話人、筆者、伊藤芳浩NPOインフォメーションギャップバスター理事長=筆者提供

諸外国には手話通訳があるのに……開催国の日本はどうした!?

 諸外国の様子を見ると、カナダ、韓国、台湾では開会式のテレビ中継に手話通訳が付いていたそうです。

 オリンピック憲章が定める権利および自由はいかなる差別を受けることなく享受されるとされ、「言語」は人種、性別等と並んで憲章に列挙されています。そして、手話は国連の「障害者権利条約」や国内法である「障害者基本法」、各地の「手話言語条例」などで、法的に言語として認められています。また、「障害者差別禁止法」は、聴覚障害について字幕や手話通訳等の「合理的配慮」を義務付けています。

 開催国の日本は、法的な整備はそれなりに進んでいたにもかかわらず、なぜ、開会式のテレビ中継に手話通訳を付けることができなかったのでしょうか。後述するように、閉会式には手話通訳が付きました。これは大きな一歩であり、感謝していますが、あくまでNHKが要望に応える形で対応したものです。「結果として良かった」で終わるのではなく、今後につなげていくためにきちんと検証する必要があります。

字幕があればいい?~障害への配慮と言語の尊重

 また、「字幕があれば、手話通訳はなくてもいいのでは?」は、繰り返しなされる質問です。

 手話を言語とするろう者は、国内に約6万人~10万人程いるといわれていますが、その言語背景は多様です。特に高齢世代には、戦時中を含む乏しい教育環境から、字幕をスムーズに読むのが困難で手話通訳が必要な人がいます。そして、字幕で十分に情報を取得できる人にも、可能であれば手話通訳を希望する人、字幕の方が情報取得しやすい人まで、幅広くいます。

 理解していただきたいのは、手話通訳については、「障害がある人への合理的配慮」、いわゆる「情報のバリアフリー」の側面が重要であるとともに、たとえ情報を取得するには字幕で十分であったとしても、自分の言語でオリンピック・パラリンピック開閉会式を観ることができること、そして、その国際的な大舞台で「ろう者の言語である手話が尊重される」ということが「多様性と調和」の視点から大きな意義があるということです。

 カナダはバンクーバーオリンピックの際に先住民の少数言語8つを含む22か国語でテレビ中継を行ったそうです。言語の尊重と「ショーの小道具化」という葛藤、ハレの日のお祭りで終わりにしてはならないという課題はあるにしても、国際的な大舞台で自分たちの大切な言語の「存在」が認められるということは、ろう者や手話関係者の誇りにつながることだと思います。言語は世界に7000以上あるそうですが、英語のように優勢な言語から少数言語まで、すべての言語は対等です。

2つの閉会式中継~手話なしのNHK総合と、ろう通訳のEテレ

 さて、オリンピック閉会式の話に戻りますが、NHK側も要望を誠実に受け止めてくださり、数度の書面でのやり取りを経て、8月8日の閉会式には手話通訳が付きました。

 具体的には、NHK総合、Eテレと2つの中継が行われ、総合は手話なし、Eテレには小さなワイプ(画面の片隅に別の映像を表示すること)ではなく、画面の右側3分の1程の見やすい大きさの手話通訳が付きました。また、「ろう通訳」として、画面上にはろう者の手話通訳者が立ちました。

ろう通訳が入った五輪閉会式のNHKの中継映像=筆者提供ろう通訳が入った五輪閉会式のNHKの中継映像=筆者提供

 ろう通訳とは、①聴覚障害のない聴者の手話通訳者(フィーダー)が音声情報を手話で伝え、②ろう通訳者がよりわかりやすいネイティブ的な手話表現に言い変えるというリレー方式の通訳方法です。ろう者と聴者がチームとして協働する形で行われます。オリンピックの閉会式というハレの日にふさわしい、真の意味での言語の尊重、多様性と調和を体現した素晴らしい試みだと思います。私自身、ろう者の家族として、手話通訳に関わる者としてうれしくなりました。

 ろう通訳は、一般の視聴者からも「手話の人」、「顔芸がすごい」、「金メダルをあげたい」等と注目されました。予想通り、言語の尊重と「ショーの小道具化」の葛藤は起こりましたが、今後この大きなきっかけをどのように活かしていけるかが、「手話の人」が「手話通訳」、「ろう通訳」として認知されていくための試金石になると思います。

「良かった」と「総合テレビに手話通訳を」、究極のジレンマ

 この2つの中継、Eテレでの取り組みという答えは、NHKの現場の方々が「多様性と調和」という難題に対して誠実に向き合い、「分離・隔離・排除」と「手話通訳の見やすさ」という究極のジレンマの中で出されたひとつの模範解答であり、画期的な挑戦だったと思います。

 私を含む多くの人が、Eテレを視聴して、オリンピックの閉会式という大舞台で、ろう通訳を見やすい適切な大きさで観られること、聞こえない・聞こえるに関わらず、閉会式が家族で一緒に楽しめるものになったことに喜びを強く感じました。「手話がすごく伝わってくる!」という感動とともに、いつもテレビを観ている時には必ず表示していた字幕を今日は消したという投稿もTwitterにいくつもありました。

 しかし、これは究極のジレンマであるとしか言いようがなく、チャンネル数が2つしかない制約によるところも大きいですが、多数の人が視聴する総合と、手話通訳付きのEテレとに分けることへの疑問、違和感が拭えなかったことも事実です。喜びや感動がベースにありつつも、頭も心も大きく揺れました。

 閉会式後のWeb上の緊急アンケートの結果もその点を反映しています。2762名の回答者のうち、Eテレの手話通訳が良かったと回答した人が83.4%(2303名)である半面、総合テレビに手話通訳をつけることを望むと回答した人も71.0%(1962名)となりました。

 このアンケート結果は、総合テレビにおいて手話通訳(ろう通訳)を放送していただきたいという要望とともにNHKに提出しています。映像制作のプロであるNHKの方々には、非常に多くの方々が協力してくださったアンケートの結果を踏まえて、今回のオリンピック・パラリンピックに限らず、今後の国民的行事と手話通訳のより良い形についてご検討いただければと、期待を込めて提出しました。

多様性と調和は「本当にチョー難しい!!」

 ここまでは手話通訳についてだけ考えてきましたが、他の障害の種類等にまで目を向けると、「多様性と調和」は、「本当にチョー難しい!!」と叫びたくなります。

 例えば、特性や障害の種類等によっては、中継画面、手話(字幕はオンオフ可能)など、情報過多が負担や支障となる場合もあります。そうすると、障害がある人の「分離・隔離・排除」ではなく、「障害への合理的配慮・対・合理的配慮」の課題になります。

 字幕のみを情報収集の方法として利用している難聴者の中には、Eテレの映像は、会場中継の画面が小さく、手話通訳者が通常より大きくてどうしても注意が拡散してしまうため、総合で字幕付きで視聴したというコメントもありました。(なお、手話が付いたことを歓迎するあまり「字幕遅すぎ」「リアルタイムじゃない字幕なんかより手話がいい」といったコメントにデリカシーのなさを感じた字幕ユーザーの方もいました。比較というものは多くの場合、罪なものですね。単純にうれしくて何かをほめると何かをけなすことになります。できれば、少しの配慮と注意をしていただけたらと思います。)

 障害の種類で言えば、開会式のピクトグラムは、私にとっては「聞こえない・聞こえる」に関係なく家族で一緒に楽しめるものでしたが、「見えない・見える」きょうだいや家族は(副音声があったとしても)同じ感覚で一緒に楽しむことは難しいでしょう。私の友人や知人には、知的障害や精神障害のあるきょうだい・家族をもつ人も多くいます。様々な立場の方々がいることに改めて思いを馳せました。

五輪開会式でフィールドに映し出された各競技のピクトグラム=2021年7月23日、国立競技場五輪開会式でフィールドに映し出された各競技のピクトグラム=2021年7月23日、国立競技場

これまたチョー難しい!! 音楽や歌と手話の関係

 音楽や歌のシーンで、ろう通訳者が通訳をせず、中継画面を見つめていました。これは通訳すべき音声が無いことを意味し、字幕には曲名、一部の歌は歌詞が表示されましたが、「一緒に観ている気持ちになった」、「シュール」等と、特に手話通訳に新しく関心をもった方々の間で大きく話題になりました。

 私自身は舞台手話通訳で歌詞を通訳した経験がありますが(声は出さず、手話のみ)、音楽や歌と手話の関係については様々なスタンスの方がいて、これまたチョー難しい!!です。

 私の弟を含む、周囲の聞こえない・聞こえにくい人の中には、音楽が好きな人もいますが、音楽の授業や発音練習で苦しい思いをした人もたくさんいます。大人になってから自分の言葉である手話に出会い、声を捨てた人もいます。そう考えると、聴者が歌を歌いながら手話をする手話歌、声付き手話での「皆さん、こんにちは! 私は〇〇〇〇です。よろしくお願いします!」といった挨拶等は、有名人や政治家の方々が手話に関心を持ってくださることが嬉しい半面、自分の大切な言語を傷付けられたと感じるろう者、手話関係者もいます。

 私は、弟や友人・知人とは、声付き手話の方がコミュニケーションがスムーズな場合には声付き手話を選択しますが、公の場で手話で話す時は声を付けないことにしています。これは私の一個人としての意見であり、それぞれの方々の判断と選択が尊重されるべきと思いますが、センシティブな課題ですので、様々な要素、影響をご検討いただければありがたく思います。

聴覚障害がある人たちが開く勉強会に向けて手話で打ち合わせをする藤木和子弁護士(中央)=2018年6月30日、東京都内聴覚障害がある人たちが開く勉強会に向けて手話で打ち合わせをする筆者(中央)=2018年6月30日、東京都内

周りの人も気付いて! 一緒に考えて!~見せてもらえない子どもはいないか

 みんながハッピーになる最適解はなかなかありませんが、「取り残されて泣く人を一人でも減らせたら! せめて気付かなくては! 周りの人も気付いて! 一緒に考えて!」と発信していきたいです。

 知っていただきたいことがいくつかあります。

 まず、聞こえない・聞こえにくい子どもたちの中には、保護者から手話通訳付きのEテレを見せてもらえない子ども、総合テレビで字幕を見せてもらない子どももいるのではないかという危惧があります。

 手話や字幕に頼らず聞く力をつけさせたい、補聴器や人工内耳をしているから大丈夫というような保護者のお考えやお気持ちも理解しますが、その子自身のニーズや思いも大事にしていかないと心の発達や成長にも影響すると考えます。その場に居合わせた聞こえるきょうだいにも、罪悪感などトラウマ的な影響を与えかねません。逆に、家族全員が手話だ!と盛り上がっている中で、ひとり孤独な聞こえるきょうだいもいるかもしれません。力不足で申し訳ないのですが、もし、私に相談してくれることがあったら、どうしたらいいか一緒に考えていこうね、とせめて伝えたいです。

周りの人も気付いて! 一緒に考えて!~誰にも見られない手話通訳をした人の立場

 また、今回、無観客になってしまった会場のスクリーンに映る聴者の手話通訳者は、結果として誰にも見られない手話通訳をすることになってしまいましたが、もともとは開催地・東京の東京都聴覚障害者連盟の要望により、大会主催者等が手配して実現したものだと伺っています。しかし、開閉会式の内容だけではなく、テレビ中継におけるアナウンサーの実況や解説についても手話通訳が必要だったことが、テレビ中継には使われなかった直接的な理由です。このような結果になったことを心苦しく思うとともに、今後は、事前調整が必要な課題だと感じています。

 なお、閉会式のテレビ中継で唯一、会場の手話通訳者が映った場面がありました。バッハ会長等の挨拶の中継映像に会場の聴者の手話通訳者がワイプで入り、Eテレではろう者の手話通訳者とともに映されることになりました。

 Twitterでは両者の比較がなされ、ろう通訳の必要性を認識した等のコメントもありました。私自身、ろう通訳を見て、ろう者が求める通訳、クオリティを改めて実感し、勉強になりました。ただし、前提として、ろう通訳の成功は、技術の高い聴者の手話通訳者(フィーダー)との協働による

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