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五輪開会式中継で忘れられた手話通訳~取り残される人を減らすため一緒に考えて!

多様性と調和は「チョー難しい!! 」

藤木和子 弁護士・優生保護法被害弁護団

多様性と調和は「本当にチョー難しい!!」

 ここまでは手話通訳についてだけ考えてきましたが、他の障害の種類等にまで目を向けると、「多様性と調和」は、「本当にチョー難しい!!」と叫びたくなります。

 例えば、特性や障害の種類等によっては、中継画面、手話(字幕はオンオフ可能)など、情報過多が負担や支障となる場合もあります。そうすると、障害がある人の「分離・隔離・排除」ではなく、「障害への合理的配慮・対・合理的配慮」の課題になります。

 字幕のみを情報収集の方法として利用している難聴者の中には、Eテレの映像は、会場中継の画面が小さく、手話通訳者が通常より大きくてどうしても注意が拡散してしまうため、総合で字幕付きで視聴したというコメントもありました。(なお、手話が付いたことを歓迎するあまり「字幕遅すぎ」「リアルタイムじゃない字幕なんかより手話がいい」といったコメントにデリカシーのなさを感じた字幕ユーザーの方もいました。比較というものは多くの場合、罪なものですね。単純にうれしくて何かをほめると何かをけなすことになります。できれば、少しの配慮と注意をしていただけたらと思います。)

 障害の種類で言えば、開会式のピクトグラムは、私にとっては「聞こえない・聞こえる」に関係なく家族で一緒に楽しめるものでしたが、「見えない・見える」きょうだいや家族は(副音声があったとしても)同じ感覚で一緒に楽しむことは難しいでしょう。私の友人や知人には、知的障害や精神障害のあるきょうだい・家族をもつ人も多くいます。様々な立場の方々がいることに改めて思いを馳せました。

五輪開会式でフィールドに映し出された各競技のピクトグラム=2021年7月23日、国立競技場拡大五輪開会式でフィールドに映し出された各競技のピクトグラム=2021年7月23日、国立競技場

これまたチョー難しい!! 音楽や歌と手話の関係

 音楽や歌のシーンで、ろう通訳者が通訳をせず、中継画面を見つめていました。これは通訳すべき音声が無いことを意味し、字幕には曲名、一部の歌は歌詞が表示されましたが、「一緒に観ている気持ちになった」、「シュール」等と、特に手話通訳に新しく関心をもった方々の間で大きく話題になりました。

 私自身は舞台手話通訳で歌詞を通訳した経験がありますが(声は出さず、手話のみ)、音楽や歌と手話の関係については様々なスタンスの方がいて、これまたチョー難しい!!です。

 私の弟を含む、周囲の聞こえない・聞こえにくい人の中には、音楽が好きな人もいますが、音楽の授業や発音練習で苦しい思いをした人もたくさんいます。大人になってから自分の言葉である手話に出会い、声を捨てた人もいます。そう考えると、聴者が歌を歌いながら手話をする手話歌、声付き手話での「皆さん、こんにちは! 私は〇〇〇〇です。よろしくお願いします!」といった挨拶等は、有名人や政治家の方々が手話に関心を持ってくださることが嬉しい半面、自分の大切な言語を傷付けられたと感じるろう者、手話関係者もいます。

 私は、弟や友人・知人とは、声付き手話の方がコミュニケーションがスムーズな場合には声付き手話を選択しますが、公の場で手話で話す時は声を付けないことにしています。これは私の一個人としての意見であり、それぞれの方々の判断と選択が尊重されるべきと思いますが、センシティブな課題ですので、様々な要素、影響をご検討いただければありがたく思います。

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筆者

藤木和子

藤木和子(ふじき・かずこ) 弁護士・優生保護法被害弁護団

1982年生まれ。耳の聞こえない弟とともに育つ。手話通訳者。聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会代表、全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会(全国きょうだいの会)副会長。障害のある人のきょうだい(兄弟姉妹)・ヤングケアラー経験者として活動。優生保護法被害弁護団。 【Twitter】 https://twitter.com/KazuFujiki 【Facebook】 https://www.facebook.com/kazulinlin

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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