「お国自慢」を通して、これからの日本を考える
2021年09月09日
少しお国自慢をしたいと思う。
日本の真ん中に位置する名古屋は、東京と大阪に挟まれ、「大いなる田舎」と揶揄されるが、自動車産業などの製造業は日本の産業を支える大黒柱である。
名古屋は熱田台地を中心に栄えてきた。南端にある熱田神宮は1900年以上の歴史を持ち、三種の神器の一つ草薙剣を祀っている。源頼朝の生母・由良御前は熱田神宮大宮司の娘で、頼朝の生地は熱田だとの説もある。そして台地の北端には名古屋城がある。
養老断層は、745年に天平地震を、1586年に天正地震を起こした。天正地震は、飛騨と養老のダブル地震だと考えられており、著名な戦国武将も命を落とした。この地震は、後に述べるように「清須越し」の遠因にもなっている。
木曽三川は、濃尾平野で最も低い西側を流れ、繰り返す氾濫が肥沃な地を作った。周辺には輪中地帯を形成してきたが、多くの河川が存在するため、東海道で唯一、熱田の宮の渡しから桑名まで海路による「七里の渡し」となった。この場所で甚大な高潮被害を出したのが1959年伊勢湾台風であり、これを契機に、1961年に災害対策基本法が制定された。
この間、1707年宝永地震、1854年安政東海地震、1944年昭和東南海地震の3度の南海トラフ地震と、直下地震の1891年濃尾地震をくぐりぬけてきた。城郭内に現存する帝冠様式の愛知県本庁舎と名古屋市本庁舎も、1944年東南海地震を見事に乗り越え、現在は重要文化財に指定されている。
名古屋城が度重なる地震で大きな被害を受けなかった原因には、1610年に徳川家康が命じた「高台移転」があったと考えられる。尾張の中心を清須から名古屋に移した「清須越し」である。被災を減じるための大規模事業であった。
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