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【51】「大いなる田舎」名古屋が語る防災の知恵

「お国自慢」を通して、これからの日本を考える

福和伸夫 名古屋大学減災連携研究センター教授

名古屋城は、なぜ大地震に耐えたのか

拡大戦前の名古屋城本丸天守閣。南西方向から眺めた石垣が堀から直接立ち上がる姿が最も優美とされた=1936年撮影
 「名古屋は城で持つ」と言われたように、名古屋城は、1945年5月に空襲で焼け落ちるまで、300年余にわたって名古屋のシンボルであった。

 この間、1707年宝永地震、1854年安政東海地震、1944年昭和東南海地震の3度の南海トラフ地震と、直下地震の1891年濃尾地震をくぐりぬけてきた。城郭内に現存する帝冠様式の愛知県本庁舎と名古屋市本庁舎も、1944年東南海地震を見事に乗り越え、現在は重要文化財に指定されている。

 名古屋城が度重なる地震で大きな被害を受けなかった原因には、1610年に徳川家康が命じた「高台移転」があったと考えられる。尾張の中心を清須から名古屋に移した「清須越し」である。被災を減じるための大規模事業であった。

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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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