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旭川の女子中学生のいのちから、私たちが学ぶべきこと(上)

いじめを生み出してきた学校という組織

田中駿介 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻

 夏休み明けは、子どもたちの自殺リスクが最も高くなる期間だとされる。コロナ禍という要因も彼/彼女たちを苦しめているだろう。実際、2020年の小中学生・高校生の自殺者数は、2019年より100人も増え、499人と過去最多を更新したそうである。

彼女は、私だったかもしれない

 今年3月、北海道旭川市内の公園で、中学2年の女性の遺体が見つかった。凍死とみられている。なぜ凍死に至ったかは定かではないが、遭難するような場所ではない。

女子中学生が亡くなったとみられる公園には、花束が手向けられていた=2021年4月16日、北海道旭川市

 8月18日に公開された母親の手記によれば、女性は中学入学直後から様子が変わった。午前3~4時ごろに「先輩に呼ばれている」と泣きながら家を飛び出したり、「死にたい」と言い出したり、川の中に入って病院に運ばれたりしたこともあったという。

 筆者は今年6月、川に飛び込んだとされる公園を訪問し、手を合わせてきた。筆者も中学時代、その公園で遊んでいた。「彼女は、私だったかもしれない」との思いを、どうしても抱いてしまう。

 涙を堪えることができなかった。

「いじめのわけがない」 向き合えぬ学校、市教委

 手記によれば、母親は学校でいじめを受けている可能性を疑い、学校に相談したものの、「いじめのわけがない」と否定された。女性の携帯電話に、いじめを受けていたことを示す履歴を見つけて学校に知らせても、「いたずらが過ぎただけ」と否定されたという。

 旭川市教育委員会も当初、いじめとは認めなかった。しかし、今年4月に「文春オンライン」がこの問題を報じると、いじめの疑いがある「重大事態」と認定し、第三者委員会を設けて調査している。

 市教委は8月30日に記者会見を開き、現時点においての調査の進み具合を説明した。「朝日新聞」の報道によると、黒蕨真一教育長は「手記は真摯(しんし)に受け止めている。これまでも遺族の意向を聞きながら進めてきたが、一つ一つの取り組みをより丁寧にしたい」と話したという(注1)。市教委をはじめとする行政は、事件の真相を決して隠ぺいすることなく、ご遺族の方に説明する責任がある。

 遺族の代理人を務める弁護士によると、手記の公表には「ネット上で根も葉もない話が出回っている。正しいことを伝えて欲しい」という母親の思いがあるという(注2)。残念なことに、インターネット上で「犯人さがし」をしたり、正確さを欠いた情報を流布したりする件が相次いでいる。真相を隠さずに説明することは、無責任な風説の流布を抑える効果もあるはずだ。

中学2年の女子生徒が遺体で見つかり、母親がいじめを訴えている問題で会見した弁護士ら=2021年8月18日、北海道旭川市

「絶望を生み出す学校」 いまも変わらず

 ルポライターの鎌田慧は、『せめてあのとき一言でも』(草思社、1996年)において、「暴行恐喝事件」や「担任も加担した葬式ごっこ」といった凄惨な「いじめ」を、いかに学校が隠ぺいしてきたのかについて取材している。ここで示される例には、単なる「いじめ」にとどまらず、刑法上の犯罪を構成すると思われるものも少なくない。

 今回の旭川市での事件に関しても、仮に「文春オンライン」などの報道が事実だとすると、同様ではないか。

 本来、学校は、あらゆる暴力を受けることのない「安全な場所」でなければならない。しかし、現実はほど遠い状況にある。

 そして、これは単なる「個人」の問題にとどまらず、社会構造の問題でもある。「絶望を生み出す学校組織」が、四半世紀前と変わらず残存していることの責任を、一個人のみに帰することはできないからである。

 「個人より集団」、「学校至上主義」、「情報公開をしない、させない」といった学校システムが根本的に見直されない限り、学校は「安全な場所」にならないだろう。こうした痛ましい事件を二度と起こさないためにも、学校をとりまく社会構造を変えていく必要がある。

「1人のために10人の未来をつぶしていいのか」の延長線上に

 教頭が述べたと手記に記されている発言は、前述した「個人より集団」を強く掲げる学校システムの問題が、端的にあらわれているように思われる。

 10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが
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