スポーツ行事と資本の論理
2021年09月11日
この夏、大きな反対の声が上がりながらも東京五輪が開催された。今回の五輪については、二重の意味で「なぜこの時期なのか?」という疑問が浮かび上がってきた。一つは言うまでもなく「なぜコロナが収束していない今なのか?」であるが、もう一つは「なぜこの酷暑の時期なのか?」という、コロナとは関係なく沸き上がった疑問である。実は、この問題には日本人になじみ深いあの「夏の甲子園」の成立過程ときわめてよく似た「資本の論理」が絡んでいる。
今回の五輪では、死者こそ出なかったものの、熱中症になって救急搬送された選手が複数出た。政府や組織委が何と言おうと、日本の夏はとても暑い。なぜスポーツをするのに最も向いていないこの酷暑のなかで五輪が開催されることになったのだろうか? それは、現在の五輪が、アスリートファーストではなく、資本の論理に規定された利権ファーストの「商業五輪」だからである。
五輪はメディア資本の影響を受けながら20世紀を通じて商業化していったが、それでも1964年東京五輪の段階ではまだ資本の束縛はゆるやかなものだった。開会式も、そもそも演出の専門家はおらず、式典本部長はなんと前職が県立高校の教頭先生だった人物。つまり、このときの五輪は、さんざん演出にお金をかけてかえって不祥事が続出した今回の五輪とは比べ物にならないほど「手作り」の温かみがある大会だったのである。
だからこそ、「日本でやるなら秋がいい」という言い分もIOCにしっかり認められて、スポーツをやるのに絶好の季節である10月に開催された。これにちなんで「体育の日」(現・スポーツの日)が制定され、全国各地で秋の運動会の定番日となったように、このときの東京五輪は「過ごしやすい秋の季節にスポーツを楽しもう!」という機運を盛り上げる目的があった。
これにかぎらず、東京を中心にトイレ水洗化やマナーの改善(行列への割込みやゴミのポイ捨てをなくすこと)が大々的に取り組まれたように、少なくとも1964年の東京五輪には「これを機に日本をもっとよくしよう!」という確固たる目的があった。今回の東京五輪に、そんなまぶしい思いがあっただろうか?
五輪が米国メディア資本の強いプレッシャーを受けて変質していく転機となったのが、1984年のロス五輪であった。「日本でやるなら秋がいい」という、1964年には当たり前だった理屈はもはや認められなくなってしまう。
「夏季五輪が10月開催となると、単純にその価値が薄れる。その時期にはすでにさまざまなスポーツ大会の契約が存在するからだ」
これは、元CBSスポーツ社長のニール・ピルソン氏の言葉である。もちろんここで彼が言う「価値」は、米国メディア資本にとっての「価値」であって、アスリートにとっての価値ではない。
実は、日本国内にも、酷暑の中でのスポーツ大会を資本の思惑から定着させた先例がある。全国高等学校野球選手権大会、「夏の甲子園」である。
ちょっと考えればわかることだが、野球を酷暑の中でしなければならないという必然性はまったくない。それなのになぜ8月にクライマックスが設定されているのか? それは、主催者の朝日新聞社と甲子園球場を所有する阪神電鉄にとってこの時期に開催したい事情があったからである。
冷暖房が完備していなかった戦前の日本では、行楽に最適な春と秋には人々が大勢出かけるのに対して、夏と冬は暑さ・寒さのせいで外に出かけようとする人が少なかった。インターネットもなかった当時は、人出が減ればそれだけ世間の話題も減る。新聞社はネタに困り、鉄道会社は乗客減少に困る……。だから、「夏と冬のオフシーズンの収益減をなんとかしなければ!」というのが、近代日本のメディア資本と鉄道資本の共通課題だった。
実際に、1932(昭和7)年の旅行雑誌の座談会記事を読むと、大阪電気軌道(現・近鉄)の運輸部次長は「春と秋はお客が多いですが、夏と冬がさっぱりアカンので、これを緩和する意味でラグビーを始めました」とあけっぴろげに語っている。この発言からわかるように、現在の全高校ラグビー大会、「冬のラグビー」もまた資本の論理で季節設定された行事だった。
「朝日新聞+阪神電鉄」がつくりあげた「夏の甲子園」。
「毎日新聞+近鉄」がつくりあげた「冬のラグビー」。
なんともうまくできたものである。ちなみに、正月の初詣も、同じく「新聞+鉄道」の協力関係のもとで戦前の都市部において広く定着した行事である。
ここで一つ気づくことがある。
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