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アスリートと競技パートナーが体感したパラスポーツの未来と課題

躍進は自己研鑽と支援の成果~強化拠点や人材の一層の充実と、共生への意識を

増島みどり スポーツライター

全盲の幅跳び選手、高田千明の進化を支えるオリンピアン

 女子走り幅跳びで視覚障害T11のクラス(全盲)に出場した高田千明(36=ほけんの窓口グループ)は、自己ベストとなる4㍍74をマークし、リオデジャネイロの8位から5位へと進化を遂げた。銅メダルとの差はわずか12㌢。大会前には好調で、5㍍への手応えも十分にあっただけに、「もう少し上を目指していたので悔しい」と振り返る。

拡大東京パラリンピック・女子走り幅跳び(視覚障害T11)で跳躍する高田千明=2021年8月27日、国立競技場
 視力を失った選手が、どうすれば踏み切り板に助走を合わせ、砂場に思いきり飛び込めるのか、想像もつかない恐怖だ。これを可能にしてくれるのは、「コーラー」と呼ばれる存在。選手に対して、声と、手拍子、何より信頼を揃えた合図を踏切り板の近くで伝え、ジャンプへとつなげる。

不滅の記録から四半世紀~高田の懸命さにうたれ、指導もコーラーも担う

 高田のコーラーを務める大森盛一(しげかず、49)は、1996年アトランタ五輪男子1600㍍リレーが、日本記録をマークし5位に入ったレースでアンカーを務めた元トップランナーである。3分0秒76の日本記録は現在も破られていない不滅の記録となった。

 一度は陸上競技から完全に離れた大森が、思いもよらなかったパラリンピックで国際舞台に戻ったきっかけは、本格的に競技に打ち込もうとしていた高田と出会ったことだった。

 18歳で視力を完全に失い、北京大会には届かなかった高田は、大森が主催する「アスリートフォレストトラッククラブ」に、「大森さんに、トップレベルの指導を受けたい」と飛び込んできた。

 「障がいがあるのに、どうしてこんなに純粋で懸命に打ち込めるのか」と驚き、コーチ業に止まらず、自身も経験のなかった「コーラー」を兼任する形で指導を始めた。

拡大【写真左】東京パラリンピック女子100㍍(視覚障害T11)予選で力走する高田千明(左)とガイドランナーの大森盛一=2021年8月30日、国立競技場 【写真右】跳躍前の高田千明とアシストする大森盛一。第29回日本パラ陸上競技選手権で=2018年9月1日、高松市の屋島レクザムフィールド

外国トップ級のような支援体制を 社会の関心継続も課題

 コーラーや、今大会でも出場した100㍍(予選落ち)の伴走を務めながら、兼任では客観的な指導が難しいとも感じる。外国のトップ選手は、試合中、スタンドのコーチに指導を受け、コーラーは連携して改善をはかれる。こうした体制を作るには、選手を支える「競技パートナー」の確保も必要になる。

拡大東京パラリンピックに向けた体験授業で、有明西学園の児童と記念写真を撮る高田千明選手(中央左)と大森盛一さん(同右)=2020年2月25日、東京都江東区
 「マンションの大家さんにも、凄い仕事をしていたんだ、と声をかけてもらうなど、本当に多くの方々に、実際にパラスポーツを観てもらえたのは嬉しかった。今後、この関心を、社会を変えていくきっかけ作りにして欲しい」と願う。高田とは、24年パリ大会を最後とする約束で、来年の世界選手権など今後の国際大会で、先ずは世界王者を目指す。

 この大会を通じ、パラスポーツへの関心は間違いなく高まった。しかし、それがいつの間にか冷めてしまうのか、それとも、関心がさらに社会へのインパクトを与えられるのか、これからが重要になる。

拡大白杖を持つ高田千明さんの腕を夫の裕士さんが取って歩く。裕士さんは聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」日本代表で専門は400㍍ハードル。千明さんは口の動きを見て会話する裕士さんのため、マスクを外していた=2020年11月26日、東京都台東区

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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