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コロナの時代、我々はどこに帰ったらいいのか?~漱石に導かれて

藤森宣明 ハワイ・ホノルル・パロロ本願寺開教使

我々はどこに帰ったらいいのか?

 「え、どこに帰ったらいいかって、それは、コロナ前の生活に帰ることに決まっているだろう。」と、そんなふうに思っておられますか? 私もコロナ前のように自由に旅ができるように戻れればいいなと思います。しかし、その半面、なんだか、そこに帰ることでいいのだろうかとの恐怖感にもかられます。

 どこに帰ったらいいのか?

 この問いをコロナ禍の中考えると私には、夏目漱石が浮かんでくるのです。私が海外に出る30年ほど前の話ですが、海外に住むなら東西に長けていた漱石に生き方を学ぼうと探っているうちに漱石の作品をほとんど読んでしまいました。今回は、漱石が、今、コロナ禍の中で生きていたら、きっと「ここに帰れ」と私どもにいうのでないかと思えてきたことをお分かちしたいと思います。

拡大夏目漱石肖像(1912年、神奈川近代文学館蔵)

コロナと漱石が問う帰るところ

休ませてくれない時間への疑問

 より早く、より便利で、より都会化にと、私ども人間は、産業革命以来250年もこの欲望を追求してきました。

 もう100年も前に、この生き方に疑問をもったのが、漱石でした。日本が西洋に追いつこうとまっしぐらに資本主義を追求して進んできたことを漱石は、

 「人間の不安は、科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから、航空船、それから、飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。」――『行人』

 と憂いました。しかし、漱石の言う「休ませてくれない」に、今回のコロナは、ストップをかけました。

 これまでにも、漱石のように真摯に疑問を投げかけた先輩達はたくさんいましたが、このスピードを止めたものはいなかった。

 コロナは、地球上に住むすべての人間に、より早く、より便利で、より都会化の追求を止めて、我々人間の生き方を問うています。この「止めた時間」でコロナは産業革命からの人類が進んできた時間に、疑問を投げかけているのではないでしょうか。

 我々は、またそこに帰ってもいいのでしょうか?

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筆者

藤森宣明

藤森宣明(ふじもり・のりあき) ハワイ・ホノルル・パロロ本願寺開教使

1958年生まれ。アイヌの人々が住む北海道の大地に育ち、ハワイ先住民が「開発」に直面して苦悩する姿を知り、ハワイ・カウアイ島に渡る。ハワイ先住民とアイヌの交流プログラムを立ち上げ、先住民目線で開発問題に取り組む。タイやフィリピンを中心とする東南アジア、ブラジルなど南米にも活動範囲を広げる。宗教、先住民、開発という視点から「生きるということ」の意味を問い続けている。photo by Lighthouse Hawaii

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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