田中駿介(たなかしゅんすけ) 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻
1997年、北海道旭川市生まれ。かつて「土人部落」と呼ばれた地で中学時代を過ごし、社会問題に目覚める。高校時代、政治について考える勉強合宿を企画。専攻は政治学。慶大「小泉信三賞」、中央公論論文賞・優秀賞を受賞。twitter: @tanakashunsuk
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
いじめ根絶へ、学校システムの見直しを! その一歩となる3つの提言
「いじめについてどう思いますか?」
アンケートが配布されたのは、筆者が高校生のときだった。ある友人は「よくわからない」と回答したそうだ。なぜなら彼は、形式的なアンケートをとるだけでは、いじめを根絶できないと考えたからである。結果、その友人は教員から叱責された。いわく、「いじめなんて、絶対ダメだ。『よくわからない』なんて、あり得ない」。
「いじめを絶対に許さない」というスローガンがしばしば掲げられている。もちろん、これは「いじめ撲滅」のために生まれた言葉であることは間違いない。しかし、この言葉は、かえっていじめの実態を見えにくくさせてしまうのではーーそう警鐘を鳴らすのは、千代田区立麹町中学校長の工藤勇一である。
「いじめは絶対に許さない」ということは、謝っても許されない、反省しても許さないという言葉に聞こえてしまいます。そもそもいじめを起こさないために使われるようになった言葉ではありますが、こう言われる環境で育っている子どもたちからすると、はたして正直に「私、あの子をいじめてしまいました」と言えるでしょうか。(注1)
それだけではない。「いじめを絶対に許さない」というお題目を過度に強調すれば、「いじめを許していないのだから、起きるはずはない」という幻想を招き、結果的にいじめの存在を見逃したり、仮に発覚してもそれを隠したりしようという意識がはたらきかねない。常に、教員、保護者、そして周囲の生徒を含めて、一見些細な出来事がいじめに発展するかもしれない、あるいは既にいじめがあるかもしれないという認識を持つべきではないだろうか。
では、具体的にどういった対策が可能なのだろうか。筆者は、「一人ひとりにあった学び方を認める」「手軽に相談できる『学校弁護士』を配置する」「多様性をみとめる学校にする」という3つの提言をしたい。
「学校は命を懸けてまで行くべき場所ではない」
これはまさに正論であり、当然筆者も強く賛同する。しかし、これを堂々と口にするのは正直憚られる思いもある。なぜならば、現在の教育制度において、入試で提出する調査書には「欠席日数」などの記入欄があり、欠席が多ければ進路決定上、多大な不利益を被りかねないからである。
コロナ禍をうけて、多くの小中高では対面の授業と併用してオンライン授業が行われているというが、「朝日新聞」報道によるとオンラインでの受講は忌引などと同じ「出席停止」扱いとし、「出席」とは認めない場合が多いという(注2)。
いじめを受けるなど、さまざまな事情から、学校に登校をしたくない/できない生徒は、多数存在する。仮にコロナ禍が収束したとしても、オンラインでの受講を「出席」と認めることは、当事者の多くが希望していることではないだろうか。
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