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「工藤会トップに死刑判決」でどうなる暴力団~日本警察を挙げた頂上作戦の行方(上)

周到な準備、判決への長い道のり

緒方健二 元朝日新聞編集委員(警察、事件、反社会勢力担当)

 2021年8月24日夕、指定暴力団工藤会(本拠・北九州市)のトップに対し、福岡地裁が死刑判決を言い渡しました。トップは、ナンバー2とともに元漁協組合長殺害など福岡県内であった市民襲撃4事件に関与したとして殺人などの罪に問われていました。長く暴力団の壊滅を唱えながら実現できないでいた警察当局が総力を挙げて取り組んだ「頂上作戦」の成果ともいえます。

 工藤会以外の暴力団関係者は「末端の組員が事件を起こしたらトップもぱくられかねない」「犯行指示の直接証拠がなくても上の者が共犯者に仕立てられる」とこの判決を深刻に受け止めています。これを機に暴力団による犯罪が減り、社会に害なす暴力団が消滅するのでしょうか。

 長く暴力団や警察捜査の取材にかかわってきた私は、そう楽観はしていません。

現役の指定暴力団トップに初の死刑判決

判決を聞く野村悟被告(中央)と田上不美夫被告=2021年8月24日、福岡地裁

 判決の対象となった事件は①元漁協組合長の男性(当時70)射殺(1998年2月、北九州市の路上)②元福岡県警の男性警部銃撃(2012年4月、北九州市の路上)③女性看護師刺傷(13年1月、福岡市の路上)④男性歯科医師刺傷(14年5月、北九州市の駐車場)です。

 これらについて工藤会トップで「総裁」の野村悟被告(74)と、ナンバー2で「会長」の田上不美夫被告(65)が殺人、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)、銃刀法違反の罪に問われていました。19年10月の初公判から数えて63回目の判決公判で、野村被告に求刑通りの死刑、田上被告に無期懲役(求刑は無期懲役、罰金2千万円)が言い渡されたのです。両被告はこれを不服として翌8月25日、福岡高裁に控訴しました。

 福岡地検によると指定暴力団の現役トップに死刑判決が出るのは初めてとみられるそうです。

 両被告は一貫して無罪を主張してきました。事件の実行犯への指示や指揮についての直接的な証拠がないためです。検察側は、元組員や捜査員ら延べ90人を超える証人尋問などで「間接証拠」を積み重ね、さらに下位の者が上位の者に絶対服従の「上意下達」という暴力団組織の特異性を主張してきました。

 判決は検察側の主張をほぼ受け入れて「両被告が意思疎通しながら最終的には野村被告の意思により決定された」と結論付けました。さらに4事件の被害者がすべて一般市民であることに触れ、「極めて悪質な犯行で地域住民や社会に与えた影響は測り知れない」とも指摘したのです。

 4事件のうち被害者が亡くなったのは1件です。これまでの判例に照らし、野村被告について求刑通りに死刑が言い渡されるのかも注目されました。判決は「被害者が1人の場合でも保険金や身代金目的の殺人事件では死刑が選択される傾向にある」としたうえで「反社会的集団である暴力団組織により計画的に実行されている点でもはるかに厳しい非難が妥当。人命軽視の姿勢が著しく、極刑の選択がやむを得ないと認めるほかはない」と結論付けたのです。

 傍聴していた朝日新聞記者によると、主文が告げられた後、野村被告は裁判長に向かって「公正な裁判をお願いしていたのに全然公正じゃない。生涯このことを後悔することになる」「推認、推認」などと言ったそうです。田上被告も裁判長の姓を挙げて「ひどいねえ、あんた、〇〇さん」と呼びかけるように言ったといいます。

 脅しとも解釈されかねない発言について弁護団は後日、地元記者団に「真意」を説明しました。接見した際、野村被告は弁護団に「こんな判決を書くようでは裁判官としての職務上、生涯後悔することになるという意味で言った。脅しや報復の意図で言ったのではない」と語ったそうです。

日本警察挙げて臨んだ「頂上作戦」

工藤会総裁の野村悟被告宅に入る捜査員ら=2014年9月11日、北九州市小倉北区

 捜査当局が一定の達成感を味わっている今回の判決ですが、ここに至るまで長い時間を要しました。7年前の2014年9月11日に福岡県警が着手した「頂上作戦」が直接の端緒となりましたが、その事前準備は周到でした。

 頂上すなわち組織のトップを逮捕し、長期間にわたって拘置所や刑務所に入れて「社会不在」にして指示・命令系統を遮断しないと工藤会による市民や企業襲撃を止められない、暴力団壊滅を唱えながら一向に実現できないでいる警察の威信にもかかわる……。「福岡県警だけでなくオール日本警察で臨まなければ対処できない」との危機感は警察の元締めである警察庁が強く抱いていました。

 その筆頭格は頂上作戦着手時の警察庁長官、米田壮さん(69)です。大阪府警捜査2課長や警視庁刑事部長、警察庁組織犯罪対策部長、警察庁刑事局長を経験した刑事部門のエキスパートです。和歌山県警本部長時代には「毒カレー事件」の捜査を指揮しました。警察キャリアには珍しく暴力団の内情や捜査にも精通しています。大きな組織の傘下組織の動向にも詳しく、感心させられたことがしばしばありました。

 警察の暴力団対策の主な対象組織は長く、国内最大勢力の山口組(本拠・神戸市)や、東京を拠点に表社会の経済活動にも浸透を図る住吉会や稲川会でした。ところが米田さんは早くから工藤会の凶悪性を警戒していました。勢力範囲は福岡、長崎、山口の3県で、組員数で山口組の10分の1にも満たない工藤会ですが、資金獲得や勢力拡大のためなら企業や市民、時には警察への襲撃も厭わないためです。

 03年8月には傘下組織の組員が、経営者が暴力団排除に協力的だった北九州市内のクラブに手榴弾を投げ入れ、多数の女性従業員らに大けがを負わせました。その後も大手自動車会社の工場に手榴弾が投げ込まれたり、地元大手企業の幹部宅に爆発物が放り込まれたりする事件が相次ぎました。警察は多くに工藤会が関与したと疑っていますが、未解決事件も少なくありません。

 福岡県の暴力団排除条例を12年に改正して設けた「暴力団排除標章」制度をめぐっては、標章を店内に貼った店の女性らが相次いで襲われました。12年4月には福岡県警で長く暴力団捜査を担った男性が銃撃される事件がありました。

手榴弾が爆発したクラブ「ぼおるど」の店内=2003年8月18日、北九州市小倉北区で、福岡県警提供
繁華街のビルに掲げられた「暴力団員立入禁止」の標章=2015年11月25日、北九州市小倉北区

「日本一危険な暴力団」封じ込めへの地ならし

 米田さんは13年1月に長官に就きます。その前の次長時代から工藤会壊滅に向けて動き始めます。まず警視庁など全国39の警察本部から福岡県(主に北九州市)に多数の機動隊員を送り込みました。その数は延べで2万人を超えました。繁華街を中心に屈強な隊員たちが市内を隈なく歩き、工藤会組員への職務質問を繰り返し、行動を封じ込めました。

警察庁長官に就任する米田壮さん=2013年1月22日、東京・霞ケ関の警察庁

 さらに警視庁や大阪府警などから暴力団担当の捜査員約70人を福岡に派遣し、福岡県警と一緒に未解決事件の捜査に当たらせました。「工藤会の動きを封じ込め、頂上作戦の遂行をやりやすくする『地ならし』だった」と米田さんは振り返ります。

 地ならしといえば、警察庁は制度面の支援も怠りませんでした。92年施行の暴力団対策法を改正して、社会に牙向く暴力団をより締め上げる制度を設けました。「特定危険指定暴力団」と「特定抗争指定暴力団」です。12年10月に始めました。「特定危険」は一般市民への襲撃を繰り返す組織が対象です。指定された暴力団の組員が、縄張りとする区域内で暴力的要求行為(「みかじめ料をくれ」などと求める行為)をすると行政命令を経ずに警察に逮捕されるという内容です。当初から工藤会を想定した制度でした。

 工藤会は12年10月に指定され、いまもそのままです。工藤会を含めて全国に24の指定暴力団がありますが、特定危険指定を受けているのは工藤会だけです。「日本一危険な暴力団」と呼ばれるゆえんです。

事件に強いキャリアを福岡へ

 人事でも警察庁は手を打ちます。工藤会対策として福岡県警は10年1月に暴力団対策部を設けました。その3代目部長として警察庁は12年2月、キャリアの猪原誠司さん(53)=現・宮城県警本部長=を送り込みました。猪原さんは警察庁暴力団対策課理事官や京都府警刑事部長を経験、「事件捜査に強い」との評価を得ていました。

改正暴力団対策法について話す福岡県警の猪原誠司・暴力団対策部長(当時)=2012年10月29日、福岡県警本部
 猪原さんは京都府警刑事部長時代に山口組版「頂上作戦」に挑みました。当時のナンバー2の恐喝容疑事件(10年11月に逮捕)です。被害者を直接脅したとされたのは別の組長でしたが、警察はこの組長とナンバー2との関係や事件の背景となる利権争奪実態を丁寧に解き明かし、ナンバー2を共犯容疑で立件したのです。

 工藤会事件と同様に犯行を指示する文言などの直接証拠はなく、状況証拠を積み重ねました。ナンバー2は有罪判決が確定し、14年6月から19年10月まで服役しました。猪原さんは「この時の捜査が工藤会捜査にも生きた」と話します。

 米田さんは一方で検察首脳とも会いました。事件は警察だけが奮闘してもなんともなりません。警察が逮捕して身柄を送った容疑者を公訴提起してもらい、公判で有罪判決を確定させなければなりません。そのための協力を求めたのです。この首脳は北九州に出向いて現地を視察したといいます。さらに検察は暴力団捜査や公判に精通した検察官複数を福岡に送り込みました。

「異例」ととらえられた本部長の陣頭指揮

 最後は本部長人事です。米田さんが白羽の矢を立てたのは樋口真人さん(64)でした。東京大在学中に司法試験に合格、警察庁へは1982年に入りました。贈収賄や詐欺などの知能犯罪を扱う捜査2課長を大阪府警と警視庁で経験し、全国の捜査2課を司る警察庁捜査2課長も。熊本県警本部長時代には立てこもり事件の捜査も指揮した「事件捜査のプロ」です。米田さんはこうした実績を評価して13年6月、樋口さんを福岡県警本部長に据えました。米田さんは「工藤会壊滅のミッションを彼に託した」と今年8月、私に語りました。

 樋口さんは着任後、実に精力的に動きます。本部長としての動きを知る警察幹部らによると、自ら東京の最高検に出向いて捜査の進め方をめぐって議論したり、過去の膨大な工藤会の捜査記録や公判資料を読み込んで捜査方針を検討したり……。47都道府県の警察本部トップである本部長の大半は、「部下に任せる」というタイプです。「現場がやりやすいように」というのが表向きの理由ですが、実際はそうではありません。本来、本部長は大きな事件については捜査を指揮するのが役目です。指揮を取ろうにもその能力に乏しいキャリアが少なくないのが実態です。だから樋口さんの動きは異例ととらえられたのです。

 頂上作戦の内実を改めて聞こうと、いま東京で弁護士をしている樋口さんを判決前に訪ねると「私一人でやったことではありません。警察と検察の多くの職員が市民の協力も得て進めたので取材には応じられません」とおっしゃる。でも背景や一般論の説明にはたっぷりと時間を費やしてくださいました。

 作戦の詳細は、朝日新聞西部本社の事件担当記者らが作戦にかかわった人々からの証言を基にまとめた記事があります。「余裕見せた暴力団トップ 突き返された作戦、決行の瞬間」(朝日新聞デジタル2021年8月22日配信)です。お読みいただければ幸甚です。

「牙抜き作戦」「木の葉隠れ作戦」とは?

工藤会トップで総裁の野村悟容疑者逮捕を受けて記者会見に臨んだあと、席を立つ樋口真人・福岡県警本部長=2014年9月11日、北九州市小倉北区

 朝日新聞デジタル記事との重複は避け、頂上作戦にかかわった捜査関係者複数の証言から樋口さんが講じた作戦を振り返ります。

 まずは「フェニックス作戦」

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