出版禁止やリスト削除命じるも一部を除外。「差別されぬ権利」は認めず
2021年10月01日
私が部落問題を初めて取材したのは、新聞記者になって4年たった1994年春のことだ。歴史的な身分制度が由来ともいわれる出自により、被差別部落出身とされた人が結婚や就職などの人生の節目で排除されたり、経済面や教育面などで低い状態に置かれたりする問題である。差別の理不尽さに衝撃を受けたが、同時に、こうした問題はやがてなくなっていき、21世紀には「前世紀の遺物」として忘れられていくのだろうと思っていた。
だから2016年にもなって、「部落差別解消推進法」という名称の法律がつくられ、第1条に「現在もなお部落差別が存在する」と書かれるような事態が続いていようとは、若かったころの自分には想像もできなかった。
この法律ができるきっかけとなった裁判の判決が、今年9月27日、東京地裁で言い渡された。
原告は部落解放同盟と同盟員ら約230人。川崎市の出版社と運営者らを相手取り、被差別部落の地名をまとめた書籍の復刻出版禁止とネット上に掲載した地名リストの削除を求めていた。東京地裁の成田晋司裁判長は判決で原告の訴えを大筋で認め、大半のリスト削除と出版禁止を命じた。
判決言い渡し後、東京地裁の門前に、法廷に入りきれなかった原告たちが集まった。弁護士が紙を広げて判決の概要を知らせる「旗出し」を見るためだが、弁護士がなかなか地裁から出てこない。
解放同盟幹部から「判決文が分厚く、中身が複雑で、分析に時間がかかっている」との説明があった。30分ほどたってようやく弁護士が現れ、「勝訴」「損害賠償、出版差し止め、ネット削除を認める」と大きく書かれた紙を掲げ、やっと安堵したような拍手が起きた。
その後の報告集会や記者会見でも、原告側代理人の河村健夫弁護士は「きわめてわかりにくい、摩訶不思議な判決」と述べ、指宿昭一弁護士は「微妙で煮え切らない内容で、大勝利と喜べる判決ではない」と形容した。
訴えによると出版社は2016年2月、戦前の調査報告書「全国部落調査」を復刻出版した書籍を販売するとネットで告知。ネット上に地名リストや解放同盟幹部らの名簿を載せた。解放同盟側の申し立てを受け、横浜地裁などが3~4月、復刻出版の禁止やリスト削除を命じる仮処分を決定。解放同盟側は4月、東京地裁に提訴した。一審判決までに5年余を費やした。
原告は、日本社会には被差別部落出身者を忌避する感情が残っていると指摘。地名リストの出版やネット掲載が差別を助長し、原告の①プライバシー権②名誉権③差別されない権利や、④部落解放同盟が業務を円滑に行う権利の4つの権利を侵害する――と主張した。
焦点のひとつは、地名リストの公表が人権侵害に結びつくかどうかだった。判決は、地名リスト自体は個人情報ではないものの、個人の住所や本籍と照合することで、被差別部落とされた地域にあるかどうかが容易にわかるとして、個人の住所や本籍の公表と同様のプライバシー侵害にあたると認定した。指宿弁護士は「部落差別の事件では初めてのことで、画期的な判断だ」と評価した。
さらに判決は、被差別部落出身であることが知られると「結婚、就職の場面で差別を受けたり、誹謗中傷を受けたりするおそれがある。損失は深刻で重大なものであり、回復をはかることは不可能か著しく困難というべきだ」と被害の深刻さを認定。「同和問題に対する立法や行政の取り組みが進められてきた現在でも、なお同和問題が解消されたとはいいがたい」との現状認識を示した。
被告側は「地名リストの公開が禁止されれば同和地区の研究をする学問の自由や表現の自由が侵害される」などと主張したが、判決は「地名公開は社会的に正当な関心事とは言いがたい」と断じたうえ、被告がツイッターなどに挑発的な投稿をしていたことを指摘して「地名の公開が公益目的でないことは明白である」とも述べて、被告側の反論を退けた。
東京地裁は、被告が2016年3月に東京法務局長から、地名の掲載をやめるよう諭す「説示」を受けていたことを踏まえ、「被告は3月末までには地名公開がプライバシーを違法に侵害するものと認識できた」として損害賠償責任を認めた。
さらに、原告の部落解放同盟幹部が地裁に提出した陳述書を被告が無断でネット上に公開したことなどについても、原告の名誉感情やプライバシーを違法に侵害したと認定した。原告一人あたり5500円から4万4千円、計488万円余の損害賠償を被告に命じた。
しかし、判決で原告全員の権利侵害が認められたわけではない。
原告が主張した4つの権利侵害のうち、判決が認めたのは①プライバシー権②名誉権の2つのみ。③差別されない権利④解放同盟が業務を円滑に行う権利の2つは否定した。
また、被差別部落出身であることを自ら積極的に公開し、一般に広く知られていると地裁が認定した原告については「すでに広く知られた情報であれば、重ねて公表してもプライバシーが侵害されたとはいえない」として権利侵害を否定した。
これについては指宿弁護士が「自己情報の公表を自分でどうコントロールするかという問題だ。自分から名乗る『カミングアウト』をしている場合でも、他人から暴露される『アウティング』もしていいということにはならない」と批判した。
現在の住所や本籍が地名リストにない人については、過去の住所や本籍がリストにある場合でも「照合による調査が容易とはいえない」としてプライバシー侵害を否定した。
今回の訴訟では、「全国部落調査」に掲載された41都府県のうち、31都府県に住む原告が提訴したが、裁判中に原告が亡くなったり、原告のプライバシー権侵害が認められなかったりしたことなどを理由に、判決では6県分が出版禁止や削除の対象からはずされた。
河村弁護士は「今回の訴訟に先立って審理された仮処分をめぐる裁判所の決定のなかには、原告が主張した『差別されない権利』としての人格権を認めた判断もあった。しかし今回の地裁判決は、差別されない権利を認めず、プライバシー侵害だけで判断しようとして原告を細かくグループ分けした。このため論理構造に無理がある判決となった」と分析する。
原告代理人の山本志都弁護士は「差別のためにしか使えないような地名リスト全体を差別文書と認めなかったのは、司法の限界」と述べた。
背景には、差別を包括的に禁止する法律が制定されていないという事情がある。
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