生島淳 (いくしま・じゅん) スポーツ・ジャーナリスト
1967年生まれ。早大卒。国内外、全ジャンルのスポーツを追う。趣味はカーリング。『どんな男になんねん 関西学院大アメリカンフットボール部鳥内流「人の育て方」(共著、ベースボール・マガジン社)、『奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ』(文春文庫)、『箱根駅伝勝利の名言 監督と選手34人、50の言葉』(講談社+α文庫)など著書多数。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
私にとって、横綱・白鵬は「鎮」の人だった。
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、わが故郷の宮城県気仙沼市は甚大な被害を受けた。奇しくも、この日は白鵬の26歳の誕生日だった。
この震災では、私の姉夫婦が行方不明となり(姉は2011年9月に身元確認が出来たが、義兄は未だ行方不明のままだ)、2011年は個人的にも動乱の年として記憶されている。
落ちつかない時期であった2011年6月6日。白鵬は気仙沼のお隣、南三陸町に赴き、志津川中学校で土俵入りを行った。
当時の志津川中学校の校長を務めていた菅原貞芳氏は、私の中学3年時の英語の担当だったこともあり、白鵬の土俵入りの様子を私に教えてくれた。
「四股を踏んで、まるで大地を鎮めているようだったよ」
後に、私は雑誌のモノクログラビアでその時の土俵入りの様子を見たが、白鵬は神々しく、まさに怒れる大地を鎮める人にふさわしい存在に思えた。
四股には、大地の邪悪な霊を踏み鎮めるという宗教的な意味があるとされている。
科学が発達した現代においても、横綱の土俵入り、そして歌舞伎の市川團十郎家に伝わる「にらみ」には、邪悪なこと、禍々しいことを収める力があるように感じる。
相撲がスポーツの範疇に収まらないのは、そうした儀礼的な要素や、芸能に込められた宗教的な意味合いが込められているからだと思っている。
白鵬は横綱として、わが故郷を鎮めにやってきてくれたのだ。