川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞記者
朝日新聞記者。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを歴任。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
震災が舞台のドラマの説得力を「その街のこども」と「日本沈没」との比較から考える
東日本大震災から10年後の今年5月から始まったNHKの朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」が、見る者に躍動感を十分に与えないまま終盤を迎えている。宮城県気仙沼で育ち気象予報士となった主人公・永浦百音(清原果耶)が抱え作品の軸となる「心の傷」が、説得力に欠けるためだ。ドラマの主題につながるエピソードが腑に落ちず、視聴者の想定を超えて弾けていく傑作の領域には迫れず、10月29日の最終回が近づく。
百音は震災の日、高校受験の発表で島を離れていた。身近にも犠牲者を出した島の親しい人らに後ろめたさをぬぐえない百音に落とす影が、その後の人生選択や人間関係に及ぼしていく。妹の未知(蒔田彩珠)に「(お姉ちゃんは)津波を見ていないから」と言われ、百音も「私はここから逃げたから」と自責の念を隠さない。
やりたいことが見つからない百音は高校を卒業すると実家を離れ、宮城県北部の登米市の森林組合に就職。そこでの気象予報士との出会いがきっかけとなり、気象を通じて故郷に貢献できないかと予報士の道を歩むというストーリーだ。
しかし、「震災時に現場にいなかったことがトラウマになる」ということが、そもそもあるのだろうか。
脚本を担当する安達奈緒子氏は、「『東北を舞台に現代の朝ドラを』というオファーでしたので、震災を描くだろうとまず覚悟しました」と述べている(NHK出版『連続テレビ小説 おかえりモネ Part1』)。震災時の不在については、「『妹や幼なじみたちと二度と同じ思いを共有できない』という寂しさと隔絶を感じてしまう。そして、何もできなかった、何かを取り戻したい、という思いから人の役に立てることを模索します」と説明している(同)。