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[58]「底の抜けた社会」を放置したまま「分配」を語るな~各党に問う「公」の責任

今こそ、「ナショナルミニマムの保障」の議論を。全ての人が安心して生きられるように

稲葉剛 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授

国民生活の底を示す「ナショナルミニマム」が表舞台から消えた

 ナショナルミニマムとは、国が憲法25条に基づき、全ての国民に対して保障する「健康で文化的な最低限度の生活」の水準である。誰もが「健康で文化的な」生活をおくる上でのボトムライン(「底」)を示すものと言える。

 民主党・鳩山政権時代の2009年12月、当時の長妻昭厚生労働大臣のもとで厚労省に「ナショナルミニマム研究会」が設置された。同研究会の委員には、貧困問題を専門とする研究者だけでなく、雨宮処凛氏や湯浅誠氏といった反貧困運動の活動家も選ばれていた。

 「ナショナルミニマム研究会」は議論を重ね、2010年6月に「中間報告」が発表された。

拡大長妻昭厚生労働相と鳩山由紀夫首相=2010年3月25日

政府研究会は「政策の根幹」と報告。活動停止は財務省の意向か

 「中間報告」では、「本研究会で議論してきたナショナルミニマムの考え方は、世界に例を見ない少子高齢社会を迎えている日本において、貧困や格差を縮小し、地域で安心して暮らせる豊かな社会を目指して、今後の社会保障や雇用のあり方を論じる際には、生活保護だけでなくあらゆる社会保障制度や雇用政策の設計の根幹となるべきものである。」と「ナショナルミニマム」概念の重要性が強調されており、「ナショナルミニマムの保障は、生活保護のみならず、最低保障年金等の所得保障制度、最低賃金、子ども手当や住宅手当、様々な雇用政策、負担の応能性の強化、低所得者の負担軽減等の包括的・整合的・重層的な仕組みを通じて、実質的に有効なセーフティネットを構築することにより、実現が図られる。」と、今後の方向性が示されていた。

 しかし、この「中間報告」のとりまとめを最後に「ナショナルミニマム研究会」が招集されることはなくなり、事実上、解散状態に陥ってしまった。貧困対策に意欲的に取り組んできた長妻氏が2010年9月に退任したことが影響したと見られるが、政権が「ナショナルミニマムの保障」を打ち出すことは社会保障費の増加につながりかねないのでやめさせたい、という財務省の意向が働いたのではないかと私は推察している。

 厚生労働省が毎年発行している「厚生労働白書」の2010年度版には「ナショナルミニマムの構築」という項目が設けられているが、2011年度版からはこの項目が消えてしまった。

「社会的包摂」→「一億総活躍」→「孤独・孤立対策」

拡大第1回「一人ひとりを包摂する社会」の会合であいさつする菅直人首相(右)=2011年1月18日、首相官邸
 「ナショナルミニマム」という言葉が表舞台から消える一方、2010年に発足した菅直人政権が積極的に採用したのが「社会的包摂」というキーワードである。

 2011年1月、内閣官房に「一人ひとりを包摂する社会」特命チームが設置され、同年5月には「社会的包摂政策を進めるための基本的考え方」という緊急政策提言が発表された。

 「社会的包摂」に関する議論は、24時間365日の無料電話相談事業(2012年から始まった「よりそいホットライン」)や生活困窮者自立支援法の制定(2013年)につながっていったが、2012年12月に自民党が政権復帰すると、「社会的包摂」という言葉は使用されなくなり、第二次安倍政権下では「一億総活躍」という言葉に取って代わられることになる。

拡大1億総活躍推進室の看板を掛ける安倍晋三首相(左)と加藤勝信1億総活躍担当相=2015年10月15日
 そして、菅義偉政権が使い始めたのが、「孤独・孤立対策」という用語である。今年2月、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置され、コロナ禍における生活困窮の問題も「孤独・孤立対策」の文脈で議論されるようになった。

拡大「孤独・孤立を防ぎ、不安に寄り添い、つながるための緊急フォーラム」で発言する菅義偉首相=2021年2月25日
 こうした政策用語は、特定の政党や政治家が強く打ち出すことで社会に浸透していくが、それにより言葉に「色がついた」と見なされ、政治的な動きの影響を受けやすい。

 政治力学が変化すれば、一つのキャッチフレーズが別のフレーズに取って代わられるのは、不可避なのかもしれないが、私が注目したいのは、「ナショナルミニマム」から「孤独・孤立対策」へと至る一連の流れの中で抜け落ちたものは何なのか、ということだ。

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筆者

稲葉剛

稲葉剛(いなば・つよし) 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授

一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事。認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。生活保護問題対策全国会議幹事。 1969年広島県生まれ。1994年より路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。幅広い生活困窮者への相談・支援活動を展開し、2014年まで理事長を務める。2014年、つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者への住宅支援事業に取り組む。著書に『貧困パンデミック』(明石書店)、『閉ざされた扉をこじ開ける』(朝日新書)、『貧困の現場から社会を変える』(堀之内出版)等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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