北野隆一(きたの・りゅういち) 朝日新聞編集委員
1967年生まれ。北朝鮮拉致問題やハンセン病、水俣病、皇室などを取材。新潟、宮崎・延岡、北九州、熊本に赴任し、東京社会部デスクを経験。単著に『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』。共著に『私たちは学術会議の任命拒否問題に抗議する』『フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義』『祈りの旅 天皇皇后、被災地への想い』『徹底検証 日本の右傾化』など。【ツイッター】@R_KitanoR
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
除斥期間、主権免除……原告に立ちはだかるいくつもの壁
10月14日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を被告とする裁判の口頭弁論が、東京地裁(五十嵐章裕裁判長)で開かれた。原告の脱北者5人は、在日朝鮮人らの帰国事業(帰還事業)に参加して北朝鮮に渡り、その数十年後に北朝鮮を脱出(脱北)して日本に戻った。北朝鮮政府(代表者・金正恩国務委員会委員長)に対し、総額5億円の損害賠償を求めている。
原告代理人の福田健治弁護士は意見陳述のはじめに「今日は歴史的な裁判の日。日本の法廷で初めて、北朝鮮政府が被告となり、その人権侵害の一端が審理される」と語った。
法廷は午前から夕方まで開かれたが、被告席は空席のままだった。裁判で被告側が出廷せず、書類も提出しないまま法廷が開かれること自体は、それほど珍しいことではない。ただ今回は、北朝鮮政府を被告とした裁判であることが、きわめて異例だった。
裁判を起こしたのは、東京都在住の川崎栄子さんら男女5人。いずれも1960~70年代に北朝鮮に渡り、2001~03年に脱北した。川崎さんにとっては、この裁判にたどりつくまでにいくつもの試行錯誤があった。
17歳の高校3年生だった1960年、帰国事業に参加し北朝鮮へ。その後、脱北して2004年、44年ぶりに日本に戻った。2015年、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。2018年2月にはオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)検察官に対し、北朝鮮の金正恩氏と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の許宗萬議長を処罰に向けて捜査するよう求める申立書を提出した。しかしICCは、根拠条約「ローマ規程」が2002年に発効する前の事件は対象外だとして、申し立てを受理しなかった。
2018年4月、米国で起こされた裁判が川崎さんを勇気づけた。北朝鮮で拘束され、解放された後に死亡した米国人大学生オットー・ワームビアさんの遺族が北朝鮮政府を相手取り賠償を求めて起こした訴訟だ。米ワシントンの連邦地裁は2018年12月、約5億ドル(約550億円)を遺族に支払うよう北朝鮮政府に命じた。
川崎さんは10月14日、口頭弁論後の記者会見で「北朝鮮では、いつ命をとられるかという恐怖のなかで四十数年を過ごした。いつか日本に帰って、北朝鮮の人権侵害を法律で裁きたいと願ってきた。今回やっと正義の天秤に北朝鮮を載せることができた」と感無量な面持ちだった。
訴状によると原告らは、北朝鮮が「地上の楽園」だとする「虚偽の宣伝」をして呼びかけた帰国事業に参加し、北朝鮮に渡航した。その後、北朝鮮は十分な食糧を提供せず、抵抗する者を弾圧し、出国を認めないなど、原告らの基本的人権を抑圧しており「北朝鮮による国家誘拐行為」にあたると主張。さらに原告らは脱北後も、北朝鮮に残された家族の出国が妨害され、面会交流できない状況にあるとも訴えている。
原告5人は10月14日の法廷で尋問に臨んだ。日本人配偶者として在日朝鮮人の夫と渡航した斎藤博子さんは渡航前に朝鮮総連から「家も仕事も用意されており、何の心配もない」との説明を受けたという。しかし現実はまったく違っていたといい「地上の楽園と聞いていたが、地獄だった。だまされた」と涙ながらに訴えた。食料難で夫を失い、子どもは今も北朝鮮に残ったままだという。家族で渡航した高政美さんは、最初の脱北に失敗して中国から北朝鮮に連れ戻された際、気絶するまで殴られるなどの拷問を受けたと語った。榊原洋子さんや石川学さんは、北朝鮮で絶望のあまり父や姉が精神を病んだと述べた。