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京王線事件に思う。 仕事もろくになく、孤独でも楽しく過ごせる社会を

赤木智弘 フリーライター

 10月31日、走行中の京王線の車内で、24歳の男が70代男性の右胸を刺すなど17人の乗客にケガをさせた上、ライターオイルを撒いて火を付けるという事件があった。

 容疑者は警察に対して「仕事に失敗して、友人関係がうまくいかなかった」などと述べているそうである。また男が2019年に上映された映画『ジョーカー』の主人公のような服装をしていたことについては「ジョーカーに憧れていた」と述べている。

 仕事の失敗や友人関係という極めて個人的な理由で、しかも犯行としても、乗客をナイフで刺して電車を燃やそうとする幼稚で残忍な考え方。しかも「自分では死ねないので死刑になりたかった」とも言っていることから、極めて身勝手な犯行であるという批判が多いのは当然だろう。

京王線の事件で逮捕され、調布署を出る服部恭太容疑者=2021年11月2日、東京都調布市京王線の事件で逮捕され、調布署を出る服部恭太容疑者=2021年11月2日、東京都調布市

 仕事に失敗した?

 友人関係がうまくいかない?

 その程度のことで!?

 僕も同感だ。ただしそれは多くの人が思っているであろう「その程度のことで、こんな酷い事件を!」という意味ではない。

 仕事や人間関係なんて、生きている上でそれほど重要なことだろうか?

 どうして仕事や人間関係に失敗した程度のことで、こんな無差別殺人を考えるまでになったのだろうか?

 「その程度のことで」とはそういう意味で、「その程度のことで、人がここまで追い込まれる社会になってしまった……」と、僕は思うのである。

レールから逸れたらおしまいの社会

火災が発生した電車内を走って逃げる乗客たち=ツイッターに投稿された動画から(画像の一部を加工しています)火災が発生した電車内を走って逃げる乗客たち=ツイッターに投稿された動画から(画像の一部を加工しています)

 僕たちは子供の頃から「お父さんが会社で働いて、お母さんが家で家族の世話をする」という家庭をなんとなく「ごく当たり前の普通の家族」として認識している。

 最近でこそ「お母さんは家事や子育てをする」という考え方は変化しつつあるが、少なくとも「働くのが普通」という常識は何も変わっていない。それどころか「お父さんもお母さんも外でちゃんと働いている」ことが当たり前であるとみなされる社会になりつつある。

 さらにネットなどでは新自由主義的な考え方が進み、「自己責任論」が声高に叫ばれるようになった。収入や社会的地位の高い人は尊敬され、貧乏人は虐げても構わないという風潮が当然のようになってしまっている。

 僕たち70年代生まれの世代はまだ今の時代的背景から「就職氷河期世代」だと言えるし、そのしわ寄せを食ってきた人も多い。だから、この世代の回りには、正規の職に就けない同じ境遇の人たちがたくさんいる。彼らはみんな今の社会の現実を知っている。

 だが、今の20代は自己責任論隆盛の中で社会を学んできた世代である。

 まだ社会の現実を知らない若者は、まさか自分があの厳しい就職氷河期世代の人たちのような貧困状況に落ち込むとは思っていないから、強い者の側に立ち、貧しい人たちをバカにすることで、周囲と合わせてきた。

 しかし、成人になり数年経つと、徐々に社会の現実が見えてくる。そして自分の将来が決して安泰ではないことを理解し始めるのである。

 それまで自分たちがバカにしていた状況に自分自身が落ち込みかねないという現実を直視しなければならない。だから、

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