2021年12月01日
J1リーグ史上最多となる191ゴール、前人未踏の3年連続得点王(13年~15年)を獲得した大久保嘉人(39=C大阪)は、引退発表会見(11月22日、大阪市内)の冒頭「大久保嘉人は……」と切り出したところで言葉に詰まり、泣き出してしまった。
ホテルの会見場は静まり返り、ようやく次のフレーズ「今シーズンをもって引退します」と振り絞るまで、まるで子どものような無防備さで鼻をすする音だけがマイクを通して響いていた。
誰にも相談せず、引退を決断したのも会見のわずか5日前の17日。来季の契約にほぼ合意していたチーム関係者たちも、驚くほどだった。理由をこう説明する。
「自分自身、まだまだできるだろうと言われるうちにやめたいという気持ちもあった。それが今だ、と思った」
今季15年ぶりにプロのキャリアをスタートさせた古巣C大阪に復帰。開幕戦でいきなりゴールを奪うと、5試合で5得点の快進撃を見せ、最大の目標でもあった通算200得点に順調に前進しているように見えた。
自分にしか見えない景色があり、感覚があるからこれだけのゴールを奪えたのだとすれば、引退の決断にも、自身にしか分からない理由があり、感覚があったに違いない。
最多記録はゴールだけではない。
通算警告数は104枚と歴代最多で、退場数もストイコビッチ(名古屋在籍時)の13回に続くワースト2位の12回。「やんちゃ坊主」「暴れん坊」と、ピッチでの様子を評された。
会見では、「審判の皆様には迷惑をかけました。そこは謝りたいです。もうサッカー選手ではなくなりますが、(今後も)レッドカードはもらわないようにしたい」とユーモアを交えて謝罪し、場内を笑いに包みこんだ。
大久保にこんな話を聞いた。
引退を発表した後の試合中、ある審判が「本当に引退しちゃうの?」と、声をかけこう言った。
「Jリーグの選手で、キミの動きだけはスピードがあって、独特で読めなかったよ。だから、審判に入ると付いて行くのに必死だった。今年見ていて、まだまだできると思うけれど……」
審判に対し、「ボケ! どこ見てる?」と食ってかかり、暴言でカードを受けた回数も1度や2度ではない。Jリーグ初ゴールをあげた01年4月14日の記念すべき磐田戦も、実はゴール後、退場した。
しかし、「迷惑をかけた」審判から動きを絶賛され、「まだできる」と言われる。バトルを展開し、謝罪しなければと考えていた審判からのまさかの賛辞に「なんだかすごく嬉しかったですね」と照れた。
号泣で始まった会見だったが、途中、記者から指導者やサッカーでの目標を前提に、「これから目指すのは?」と問われ、「ゴルフの90切りですね」と答え大きな笑いを起こし、クラブに入った時から憧れていた、C大阪のレジェンドでもある森島寛晃代表取締役(49)に花束をもらうと喜んだ。1時間半の会見には様々な感情が率直に表現され、ピッチ同様に「大久保スタイル」が貫かれているようだった。
そのスタイルこそ、国見高校時代から優等生ではなく、ピッチでは感情を爆発させ、体格でも決して恵まれてはいなかったストライカーが、国内外のファンに、時にはカードを出した審判にまで、鮮やかな記憶を刻み、愛された理由だったのだろう。
身長170㌢と小柄で、「C大阪に入った時は、プロではそう長くできないだろうと思っていた。プロ入り前に試合を寮で見ながら、先生(小嶺忠敏、当時国見高校サッカー部監督)に、『お前、こんなレベルの高いところでやれる?』と言われ、無理だろうなぁと笑っていたのを思い出す」とよく話している。
それが39歳までキャリア20年、リーグ歴代最多得点だけではなく、W杯に2大会出場し、Aマッチ60試合と、日本を代表するストライカーに。メディアにもファンにも、野性的カン、独特の嗅覚と言われていたが、得点の「極意」は、これらと正反対の信念にあった。
「大久保嘉人っていうイメージは野性的、と言われてきましたけど、やっぱりゴールを取るために確率を求めていましたし、自分はもともとストライカーではなく中盤の選手だったので、パスの出し手の気持ちとか狙いがよく分かる。だから、ゴールまでを常に逆算して、逆算して点を取った。実は考えていましたと、選手のときには言わなかったけど、今はそれを伝えたい」
引退会見という公の場で、初めてこう明かした。
どうしてそこにいたの?と人々を驚かす瞬間も、実はすべて逆算し、設計図を持ってたどり着いたチャンス。逆算の設計図通りに決まった忘れられない会心のゴールは、05年、スペイン1部のマジョルカに移籍して迎えたデビュー戦での初得点 加えて1アシストだったという。
「当時は日本からの選手など期待もされていなかったし、むしろなぜ日本人を獲得したんだ、と批判の的。それがあの1ゴール1アシストで全てを変えられた。店に入ると、みんなに絶賛される。99%の不安と1%の自信。試合中は、ひたすら自分と戦わなければならないキツさはあるけれど、FWはおもしろい。生まれ変わっても絶対FWになりたい」
嗅覚やカンといった不確定な要素ではなく、徹底した確率を求めて逆算の設計図を描く。積み重ねたゴールの背景を思うと、どれほど繊細な準備が必要であったか分かる。周囲は「まだできる」と、衰えぬフィジカル面を指摘する。しかし引退会見で「細い糸がギリギリ繋がっているようだった」と吐露した姿に、フィジカル以上にメンタルを維持する難しさがにじんだ。
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