国は国民の血税を支払うことによって裁判を終結させた
2021年12月16日
12月15日夕方、あるニュースが飛び込んできた。森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを強いられ、自死した同省近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54)の妻・雅子さん(50)が国と佐川宣寿・元財務省理財局長を訴えた過労死裁判で、国が「請求の認諾」をしたというのだ。
裁判は国によって強制的に終了させられた。今後行われるはずであった証人尋問などの手続きは一切行われない。司法の場において真相解明を望んだ妻の思いは、突然閉ざされたのだ。
「請求の認諾」とは、「請求に理由のあることを認める被告の裁判所に対する意思表示」だ。民事訴訟法266条・267条に規定されている。
(請求の放棄又は認諾)
第266条 請求の放棄又は認諾は、口頭弁論等の期日においてする。
2 請求の放棄又は認諾をする旨の書面を提出した当事者が口頭弁論等の期日に出頭しないときは、裁判所又は受命裁判官若しくは受託裁判官は、その旨の陳述をしたものとみなすことができる。
(和解調書等の効力)
第267条 和解又は請求の放棄若しくは認諾を調書に記載したときは、その記載は、確定判決と同一の効力を有する。
少し具体的に説明しよう。
裁判というのは、原告がなにがしかの請求権(本件であれば損害賠償請求権)があることを主張し、被告の反論を踏まえつつ、裁判所が、その請求権が存在するか否かを判断する手続きだ。
ポイントは、裁判というのは、「真相解明」を目的としているのではなく、あくまで「請求権が存在するか否か」を判断する手続きにすぎない、ということだ。
よって、被告が「その請求権があることを認めます(認諾します)」と言ってしまえば、もはや裁判所が請求権の存否を判断する必要はなくなり、それ以上裁判を継続する意味はなくなる。結果、裁判は強制的に終了することになる。原告がいくら裁判の継続を求めても、裁判が再開されることはない。控訴も上告もできない。
「請求の認諾」とは要するに、訴えられた側である被告が、訴えられたお金を全額支払う代わりに、一方的に裁判を終わらせることができるという制度だ。
このように請求の認諾とは、いわば「全面降伏」であるため、通常の裁判では使われない異例の手続きといえる。経験したことがない弁護士も相当数いると思う。
どうしてかというと、裁判になるケースというのは、もともと双方の言い分に食い違いがあるために話し合いがまとまらず、その結果として裁判に至っているわけであるから、被告にも何かしらの言い分があるはずで、全面降伏するはずがないからだ。
私は、弁護士を11年間してきたが、これまでに「請求の認諾」をされた経験は1回しかない。それは、「がん遺伝子治療」を高額で提供していたあるクリニックをめぐる裁判であった。
以下、本稿の執筆にあたり、当時の依頼者の承諾を得た上で記載する。
患者は50代前半の男性。働き盛りで妻子がいた。しかしある時、末期のがんであると診断され、手術・化学療法・放射線療法を受けた。標準的な治療は尽くしたわけだ。しかしがんは進行を続け、余命6カ月と診断された。
患者・家族は、わらにもすがる想いで、何か治療法がないものかとネットを検索した。飛び込んできたのは「がん遺伝子治療」の文字だった。サイトを見ると高い治療効果が期待できるという。そのクリニックに電話すると、来院するように言われた。
クリニックに行くと、院長から「これまでに700~800人の患者を診ました。そのうち8割の方が良くなっています」と説明された。そのため患者・家族は、とても高い効果があるのだと思って、500万円以上もの高額の治療費を支払った。院長は自らのクリニックのことを「人に投与するための遺伝子治療として国に認められた第1号である」とも説明していた。
しかし残念なことに、がん遺伝子治療にはそのように高いエビデンスは認められていなかった。「人に投与するための遺伝子治療として国に認められた第1号である」という発言に至っては、真っ赤な嘘(うそ)だった。
結果として治療効果はなく、患者はがんで死亡した。
私は相談を受けたとき、「このような不正義が許されていいのか」と怒りに震えた。私は小学5年生の時に父をがんで亡くしている。私の父も余命6カ月と診断されていた。相談を聞いていて、嫌でも父と重ねてしまう自分がそこにはいた。
私は依頼を受け、代理人として裁判を起こすことにした。
患者・家族はわらにもすがる思いだったのだ。そのような思いを踏みにじり、高額の金銭を支払わせたこのクリニックを許すことはできない。私は提訴時には記者会見も行った。院長の証人尋問を経て、判決を得て、世に問うべき事案であると思っていた。原告である患者の妻も同じ思いだった。
しかしである。
第1回の裁判の日、被告は「請求の認諾」をしてきた。
被告はお金を全額支払う代わりに裁判を終わらせたのだ。そこには「判決は取られたくない」「真相解明は許さない」というクリニック側の意図が透けて見えた。
判決を取られると、大きく報道されてしまうかもしれない。証人尋問にかけられると医学的に反論することができない。そういった不都合な事態を避けるため、裁判を強制的に終わらせたのだ。
私がそのように思ったのには理由がある。
被告は「請求の認諾」をしつつも、他方においてその日、弁解するかのような書面も提出してきたのだ。私は「全く反省していない」と思った。本当に反省をして全面降伏をしたのであれば、そのような弁解をするはずがない。
とはいえ、被告が「請求の認諾」をしたのだ。裁判は終結した。形式的にはこちらの全面的な勝訴ではある。しかし実質的にはそうではない。私は「負けた」と思った。
話を戻そう。
冒頭に、裁判というのは、「真相解明」を目的としているのではなく、あくまで「請求権が存在するか否か」を判断する手続きである、と述べた。
例えば、「お金を100万円貸しました。だから返してください」といった純粋なお金の問題であれば、「請求権(=つまり100万円を支払ってもらう権利)が存在するか否か」だけが分かればよく、「真相解明」まで望まない人は多いだろう。細かい話はさておき、お金さえ返してもらえればよいからだ。こういった場合、「請求の認諾」という手続きは馴染(なじ)む。
しかし、先のがん遺伝子治療の件などは、断じてお金の問題ではない。原告はお金が欲しくて裁判をしているのではない。本当のことが知りたくて裁判をしているのだ。これは人の生命や尊厳にかかわることだ。
赤木さんの妻は、記者会見でこのことを伝えようとしていたのだ。そこでは「真相解明」こそが重要であり、「請求の認諾」という手続きは馴染まないのだ。
もともと夫については、公務災害が認定されていた。しかし、
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