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中絶薬の導入で日本女性にも中絶の権利を

搔爬を前提とした法律と医療を、全面的に見直すべき時だ

塚原 久美 金沢大学非常勤講師、RHRリテラシー研代表、中絶ケアカウンセラー

 国際産婦⼈科連合は2020年3⽉、「中絶は必要不可⽋な医療」だとして、臨時措置として中絶薬の遠隔診療(オンライン処⽅)と⾃⼰管理中絶(⾃宅中絶)を推奨した。さらに今年3⽉には「1年間実施してきて安全性と有⽤性は確認された」として、この⽅法の恒久化を求める声明を発表した。その裏には、中絶薬(ミフェプリストンとミソプロストールのコンビ薬)が2019年の世界保健機関(WHO)必須医薬品コアリストに収載されたという事実がある。コアリストに選ばれた薬は、医療従事者の監視下でなくても服⽤できるほど安全で、有効性が抜群に優れているばかりか安価で使いやすい必須中の必須の薬なのである。

素材ID 20210426TKAI0001A拡大人工妊娠中絶薬として海外で流通しているミフェプリストン(MF)とミソプロストール(ML)=大須賀穣・東京大教授提供

 海外では中絶薬の普及によって中絶が早期化されており、「中絶」そのもののイメージも様変わりしてきた。カトリック教徒の多いアイルランドでさえ、1983年に憲法に書き込まれた「胎児の権利」が2018年の国⺠投票で廃棄され、中絶が合法化された。この大逆転劇は、現代の「中絶」が以前とは全く別物だと認識されるようになったことの現れではないだろうか。

 ⽇本でもようやく中絶薬の承認申請が出されようとしている。後述するように中絶薬は「第三次中絶⾰命」の申し⼦であり、115年前に日本に導⼊された古い「搔爬(そうは)」を前提としてきた法律と医療を全⾯的に⾒直すべき時が、まさに今、訪れている。同時に、⼥性⾃⾝が知識をつけ、⾃分の⽣殖能⼒を⾃⼰管理できるようになることで、真のジェンダー平等をめざしていくべきだろう。

世界における避妊と中絶の歴史

 ⼈類は古代から呪術や薬草から物理的刺激まで様々な⽅法を⽤いて妊娠を制御しようとしてきた。しかし近代医学が発展するまで⻑らくこれという決定打はなかった。19世紀後半の医療技術の発達によって、ようやく⼈類はそれまでに⽐べてはるかに安全かつ確実に妊娠を終わらせることができる外科的中絶法を⼿にした。この変化を「第⼀次中絶⾰命」と呼ぶことにする。現在の⽇本の中絶の過半数で⽤いられている搔爬は、基本的にこの頃の技術を継承したものであり、⽇本で最初に紹介されたのは1906年の⽇本婦⼈科学会雑誌⼀巻に載ったドイツの論⽂の抄訳だった。

 搔爬とは正確には「⼦宮頸管(けいかん)拡張法」と「⼦宮内膜搔爬法」を組み合わせた⼿法で、英語ではD&Cの略語がよく⽤いられる。この⼿術では、⽔分を吸うと膨張する頸管拡張材を⽤いて固く閉じている⼦宮⼝を押し広げる前処置をしておき、⼦宮内に⾦属製の柄の⻑いさじのような器具(キュレット)を挿し込んで⼦宮内膜を360度掻き取ることで妊娠産物を取り除く。処置⾃体は10〜15分程度で終わるが、前処置と全⾝⿇酔のために数時間を要する。⽇帰り⼿術が多いが、前⽇から⼊院することもある。

 搔爬に使われるキュレットの先端は⼩さいため、妊娠産物が⼩さすぎると「取り残す」ことがあるという。そのために、⾮常に早期に妊娠に気づいたために、胎児が育つまで何週間か待たされることになる女性たちが現にいる。中絶の先延ばしは中絶を受けることを決めた⼥性にとって⼼理的に⾮常に酷なことであり、妊娠週数が進んでからの施術は、妊娠産物が⼤きくなるために出⾎量の増加など様々なリスクを⾼めることにもなる。

 現在⽇本の中絶では94%程度が妊娠12週未満の初期中絶である。2019年の⽇本産婦⼈科医会の調査によれば、初期中絶の⽅法は搔爬単独が全体の24%、搔爬と吸引法の併⽤が36%、吸引単独が40%だった。いまだに6割に搔爬が使われていることになる。

 2012年のWHOのガイドライン『安全な中絶 第2版』では、D&Cは旧式で安全性に劣る⼿法だとして「いまだにD&Cが使われているなら安全な中絶(中絶薬か吸引法)に切り替えるべきだ」と指導している。その9年後の今年7⽉、厚⽣労働省は⽇本産科婦⼈科学会と⽇本産婦⼈科医会に対し、会員に「吸引法」を周知するよう依頼状を出したが、搔爬から吸引に置き換える指導もしていなければ実態の確認もしていないようである。

 —⽅、海外では20世紀後半以降、妊娠をより良く管理できる医療技術が急速に発達し、普及した。まず1960年のアメリカで、世界初の経⼝避妊薬(「ザ・ピル」と呼ばれた)が発売された。⼥性が⾃分⼀⼈で避妊できるこの経⼝薬は⼀⼤センセーションを巻き起こし、当時の各国の⼥性運動の担い⼿たちはピルの合法化を重⼤な獲得⽬標に掲げた。ほとんどの国の⼥性たちは、まず避妊ピルの獲得を⽬指し、それに成功すると、次に中絶合法化運動に進んだ。

 イギリスは例外だった。家族計画法で全国保健サービスを通じた避妊が提供されるようになった1967年に、妊娠中絶法でかなり緩い理由による中絶も解禁されたのである。イギリス議会のホームページでは、「これらの法律の成⽴は、社会の性に対する考え⽅の変化を反映しており、知識をつけもっと対話していく必要があることを⽰している。重要なのは、⼥性が初めて⾃分の⽣殖能⼒を⾃⼰管理できるようになったことである」と説明している。

安全な中絶の模索

 1970年代の初めにかけて次々と中絶が合法化された⻄欧の医師たちは、安全な中絶⼿法を求めて国際的に交流するようになった。この秋、そうした医師の⼀⼈で邦訳された『⽂化としての妊娠中絶』の著者として⽇本⼈にも知られるマルコム・ポッツ博⼠(現在はカリフォルニア大学バークリー校公衆衛生学教授)に、オンラインでインタビューする機会に恵まれた。ケンブリッジで学位を取得したポッツ博⼠が、栄誉も収⼊もある職を捨ててイギリス初の男性中絶医になったきっかけの⼀つは、ヤミ中絶で感染症にかかって⼦宮を全摘し、壊死(えし)した両⼿の指先を切断するはめになった⼥性患者を南⽶で⽬の当たりにしたことだった。「⼦宮も⼿も失った若い⼥性がこれからどんな⼈⽣を歩んでいくのか……」と⼤きな衝撃を受け、安全な中絶の必要性を胸に刻んだのだという。

 ポッツ博⼠は1970年前後に英⽶を⾏き来して⼿動吸引器を普及させた第⼀⼈者でもある。インタビュー中にポッツ博⼠は、おもむろに⼿動吸引器を取り出して取っ⼿を引っ張るしぐさをしてみせ、「とても簡単で、2回もやれば誰でもマスターできる」とちゃめっ気たっぷりにほほ笑んだ。博⼠を始めとする熱⼼な欧⽶の医師たちは、すでに中絶が合法化されていた東欧圏から吸引の技術や局所⿇酔法を学び、アメリカで考案された柔軟なプラスチック製で安全かつ有⽤なカーマン式カニューレを組み合わせた吸引法を精⼒的に広めた。先進国では当時発売されたばかりのぴかぴかの電動吸引機が⼈気だったが、ポッツ博⼠は⼥性にとってより快適で、途上国でも使える⼿動吸引器を重視した。電動・⼿動ともに経験の乏しい⼈でも安全に中絶を⾏える吸引法は、それまでの搔爬法に置き換わって1970年代の欧⽶の合法的中絶におけるゴールド・スタンダードになった。1973年に全⽶で中絶を合法化した最⾼裁のロウ判決の判決⽂には、1970〜71年に⽶国12州で⾏われた合法的中絶の⼤半が吸引で⾏われたと記されている。この変化を「第⼆次中絶⾰命」と呼ぶことにする。

 中絶⽅法の改善はそこでは⽌まらなかった。1980年代には南⽶の⼥性たちが胃薬ミソプロストロールの⼦宮収縮作⽤を発⾒して口コミで広げ、ヤミ中絶で死ぬ⼥性が激減した。フランスで⼈⼯流産薬RU486(ミフェプリストン)が開発された際にも、このミソプロストールと併⽤する⽅法が安全で、妊娠初期なら96%も成功することが確認された。ところが、発売を⽬前にした1988年のフランスで中絶薬の倫理性をめぐる強い反論が巻き起こった。薬品メーカーはいったん市場から撤退しかけたが、時のフランスの厚⽣⼤⾂は「この薬は⼥性の倫理的資産である」と擁護して、無事に発売されることになった。ただし、フランスで論争が起きているあいだに中国が先に承認したため、フランスは2番⽬の中絶薬承認国になった。外科的中絶に代わりうる選択肢をもたらしたこの薬の登場は、まさに「第三次中絶⾰命」の名にふさわしい。1991年にはイギリスが3番⽬の承認国になり、2000年までに世界20カ国以上が承認し、2021年10⽉時点では82カ国が承認している。


筆者

塚原 久美

塚原 久美(つかはら・くみ) 金沢大学非常勤講師、RHRリテラシー研代表、中絶ケアカウンセラー

日本の中絶問題をフェミニズムの視点で研究。訳書『中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション』(共訳 青木書店 2008年)、『水子供養商品としての儀式:近代日本のジェンダー/セクシュアリティと宗教』(監訳 明石書店 2017年)など。主著『中絶技術とリプロダクティヴ・ライツ:フェミニスト倫理の視点から』(勁草書房 2014年)は山川菊栄賞、ジェンダー法学会西尾賞を受賞。 SNS:ツイッター @kumi_tsukahara / facebook https://www.facebook.com/kumi.tsukahara

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです