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Jの雄・鹿島アントラーズ、最大規模のクラウドファンディングで未来を担う新施設

常勝軍団がクラブの土台一新~2カ月で2億4千万円集めアカデミー専用フィールド実現

増島みどり スポーツライター

完成した「鹿島アントラーズ アカデミーフィールド」に立つ、左から鹿島アントラーズの中田浩二CRO、小泉文明社長、鹿嶋市の錦織孝一市長、アカデミーの柳沢敦・ユース監督、小笠原満男テクニカルアドバイザー=2021年12月25日、©KASHIMA ANTLERS

クラブ創設30年、育成組織「アカデミー」に総力結集

 12月25日、「鹿島アントラーズ アカデミーフィールド」の竣工式が鹿嶋市で行われた。今年、クラブ創立30年を迎え、「クラウドファンディング(CF)」という新しい資金調達方法でアカデミー専用の、耐久性や安全性を維持する人工芝フィールドを完成。25日、フィールド横に設置された神事会場には、アントラーズの小泉文明社長、アカデミーの柳沢敦・ユース監督、小笠原満男テクニカルアドバイザー、中田浩二CRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)らOB、鹿嶋市・錦織孝一(にしきおり)市長、支援者たらが揃い、厳かな竣工式が進行した。

 10月1日、クラブ創設30年に向かって鹿島は様々なプロジェクトを立ち上げ、その1つが「アカデミーの未来をみんなで」と銘打ったこの企画。サッカークラブはそれぞれが各年代での育成組織「アカデミー」を保有している。

 地元クラブで幼少期から組織的な強化を行うシステムで、鹿島では茨城県内の各エリア、各年代を合わせて約2600人が所属する。将来、アカデミーからトップチームに何人の選手を送れるかどうかが、クラブの総力、底力を示す指標ともなる。

鹿島アントラーズ・クラブハウス。アントラーズのテーマである「フットボールドリーム」を発信する起点として環境や設備が整えられた。夜間照明完備の4面の練習グラウンドやトレーニングルーム、ファンとの交流の場であるカフェやショップなどを備える=鹿嶋市粟生東山

ジーコを招聘し最高の環境をも誇った草創期――時を経て老朽化

 1993年のプロリーグ発足を前に、鹿島は前身の住金鹿島時代に、世界的なスター選手、ジーコをブラジルから招へいし、さらに日本サッカー界にはほとんどなかった「専用クラブハウス」や、何面もの天然芝のグランドを備えた最高の環境をも誇った。しかし年月を経て、当然ながら老朽化に直面した。

 今季でクラブのテクニカルディレクターを退任予定のジーコ氏も、老朽化した施設の新・改築のなかでアカデミーを重視し、「積極的に投資をしていかなくては、クラブの未来はなくなる」と提言。しかしコロナ禍によって資金調達が困難な状況にあった。

【写真左から】住友金属と契約した翌日、サッカー少年にボールを贈る元ブラジル代表のジーコ選手=1991年5月22日、茨城県鹿島町役場/Jリーグ草創期の鹿島アントラーズを支えたジーコ、アルシンド両選手=1993年5月/Jリーグチャンピオンシップで優勝を決め目を潤ませるジーコ総監督=1998年11月/レアル・マドリードとの試合に臨む鹿島のジーコ・テクニカルディレクター=2018年12月19日

レジェンドが発起人になり資金調達、スポーツ分野で過去最高金額

Jリーグ初の3連覇を果たし、Jリーグ杯を掲げて喜ぶ鹿島の選手たち=2009年12月5日、埼玉スタジアム
 そこで9月3日に小泉社長、OBでもある柳沢、小笠原、中田各氏らが発起人となってCFを発表すると、2カ月で総額約2億4000万円、支援者は企業法人、個人両方で2793人に広がった。過去に行われた国内でのCFの中でもトップ5に入る総額で、スポーツ関連のCFでは過去最高金額に上った。

 Jリーグ発足以来、リーグ制覇を始め、天皇杯、カップ戦、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)で20冠を達成してきた強豪も、ここ3季は無冠に。しかし30年で、未来への投資として新たな仕組みで高額の資金調達で得た施設は、クラブが総力戦で手にした「タイトル」とも評価できる。

鹿嶋市の広報誌「広報かしま」は「アントラーズACL優勝臨時号」(2018年11月)を発行した

悲願だったACL優勝を果たし凱旋パレードする鹿島アントラーズの選手たち。大勢のサポーターと喜びをわかちあいながら鹿島神宮の参道を歩く=2019年1月19日

「トップチームで主役になる選手を輩出する聖地に」―柳沢監督の決意

 アカデミー施設の資金調達は「ふるさと納税型」でのCFで、集まった資金を土地の所有者である鹿嶋市がアントラーズに寄付する形となる。ふるさと納税と同じように税制での優遇措置が取られ、寄付者は鹿嶋市在住者以外にも多かった。

 Jクラブでは、G大阪のホームスタジアム「パナソニックスタジアム」が募金団体を作り、そこに個人、企業からの寄付を募った。3年間で138億円の寄付を集め、完成したスタジアムを吹田市に寄贈した。

 12月上旬には、福島県いわき市が鹿島と同じ「ふるさと納税型」で、サッカーJFLの「いわきFC」を支援する方針を示している。

【左】選手と触れ合える機会に子供たちは大喜び。左から奥野僚右、古川昌明、相馬直樹の各選手=1998年4月26日、鹿嶋市のカシマスポーツセンター【右】W杯日韓大会日本代表に選ばれた鹿島の6選手に花束を贈るサポーターの子供たち=2002年7月13日、カシマサッカースタジアム

3億円の高い目標設定――地域の支えでクラブ一丸に

 スポーツとCFの関係が深まるなか、鹿島の特徴は、3億円と定めた目標額の大きさにある。

 19年に経営権譲渡がされた「メルカリ」から出向し、鹿島で経営戦略チームのマネジャーとして今回のプロジェクトに関わった金子有輔氏は振り返る。

 「CFの目標額は3億円に設定しました。スポーツで行われた過去の例ではかなり大きな数字ですが、これを目標とするのがアントラーズなんだと話し合った。結果的にはその高い目標が、クラブをひとつにしたと思います」

 柳沢監督らOBが前面に立って支援を呼びかけたほか、現役選手、グッズ販売の関係者や法人の支援企業、地域のサポーターたち、クラブ一丸となって達成を目指した。金子氏も地元出身者で、「改めて地域貢献のテーマについても考えられた」とも話す。

【左】地域とのふれあいを強めるため、毎年ホームタウン5市の全73小学校を巡回訪問することになり、どの選手がどの小学校を訪ねるかを抽選した。写真は鹿嶋市分のくじをひく青柳誠司同市教育長と柳沢敦選手会長=2007年4月12【右】この日は行方市立玉造小学校で大迫勇也、土居聖真両選手が交流した=2013年6月20日

地元に根ざした育成システムの拠点、地域交流に活用も

 地元に根差した育成システムは、トップチームの成績と並ぶクラブ強化の2本柱だ。高額な移籍金を支払って、選手を獲得するリスクより、トップチームで活躍できる未来のプロ選手たちを自分たちの手で育てられればクラブ経営の安定、真の地域貢献につながって行く。一方、アカデミー出身選手をいつ、何人トップチームに送り込めるか、育成は見通しが立たない困難な事業でもある。

鹿島はJリーグ発足後最初のステージを制した。1993年7月7日、浦和を2-0で下し前期優勝を果たした。写真はサントスのヘディングシュートをGKがはじいたこぼれ球をシュートして2点目を決める黒崎(右)=浦和市の駒場競技場
J1年間王者を決めるサントリーチャンピオンシップ鹿島-磐田の第2戦。鹿島は延長前半10分、小笠原満男(8)がFKでVゴールを決め、優勝に輝いた=2001年12月8日、カシマサッカースタジアム

 竣工式を終えたユースの柳沢監督は、「支援者の皆さんに本当に感謝しています。それと同時に、とても重い責任、プレッシャーも感じている。トップチームで主役になる、未来のアントラーズの選手を輩出する聖地にしたい」と、緊張した面持ちで答えた。

 小泉社長によれば、人工芝のフィールドを地域イベントの交流拠点にするなど新たな活用方法も今後検討される予定だ。

【左】アントラーズが主催した東日本大震災からの復旧記念イベントで、出身の岩手県のサンマ売りを手伝う小笠原満男選手。柴崎岳選手は出身地青森県のせんべい汁販売を盛り上げた=2013年9月、カシマサッカースタジアム【右】新型コロナ対策のため前を向き私語禁止となった学校給食を少しでも楽しく過ごしてほしいと、アントラーズが給食時間用の動画を制作、5市の小学校で放送されている。写真はマスコット「しかお」の質問に答える沖選手の動画を視聴する児童=2021年6月21日、神栖市立波崎小学校

建設当時の鹿島アントラーズの本拠、カシマサッカースタジアム=1993年2月7日、茨城県鹿島町(当時)

オリジナル10として発展、20冠の常勝軍団を牽引した強化担当の退任

 Jリーグ発足時、鹿島は10番目に滑り込んだクラブだった。

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