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オリンピック北京大会の外交ボイコットは「クソどうでもいい」茶番劇

小笠原博毅 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

 鮮烈な資本主義批判の論客として知られ、惜しくも先年亡くなった人類学者デイヴィッド・グレーバーの言葉を借りるなら、ブルシット(bull-shit)である。やってもやらなくてもいずれにせよ意味はない、「クソどうでもいい」事柄。それがオリンピックの「外交ボイコット」だ。

 2月4日に開幕予定の冬季オリンピック北京大会に閣僚、外交官、政府関係者を派遣しない「外交ボイコット」を決め込んでいるのは、いまのところ米英加豪とエストニア、ベルギー、リトアニア、コソボ。日本もそれに倣いつつも、山下泰裕JOC(日本オリンピック委員会)会長と橋本聖子東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長は派遣するという。

 だから、何だというのだろうか。「クソどうでもいいこと」がいかに「クソどうでもいい」のかを説明すること、つまり意味がないということの意味を説明することの面妖さも重々承知のうえで、しかしつい5ヶ月前に終わったばかりのオリンピック東京大会の様々な不都合をまるでなかったかのように北京へと目を向けさせようとするメディアのおぞましき忘却戦略に抗うためにも、少しだけこの茶番劇を覗いてみよう。

五輪開幕まで1カ月となった北京首都国際空港のターミナル=2022年1月4日
拡大五輪開幕まで1カ月となった北京首都国際空港のターミナル=2022年1月4日

 二度目の北京大会である。一度目(2008年夏季)が悲劇で二度目が茶番劇なのか、それとも一度目も二度目も悲劇的茶番もしくは茶番的悲劇なのか。おそらく、オリンピックを招致し開催すること自体がIOC(国際オリンピック委員会)の「はったり」という茶番と「ぼったくり」という悲劇を同時に導くのだから、一度目も二度目もあったものではないのだろう。

 オリンピック統治機関であるIOCは一国際NGOにすぎないのだが、開催国やグローバル社会の直面する問題とは関係のない「パラレルワールド」で競技が行われることを是としているのだから、まるで昨夏のコロナ禍と同じように、ウイグルで虐殺が行われていたとしても、香港で民主勢力が弾圧されたとしても、それは別の世界の出来事なのだからオリンピックは開催されると言い続けるだろう(「はったり」)。


筆者

小笠原博毅

小笠原博毅(おがさわら・ひろき) 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

1968年東京生まれ。専門はカルチュラル・スタディーズ。著書に『真実を語れ、そのまったき複雑性においてースチュアート・ホールの思考』、『セルティック・ファンダムーグラスゴーにおけるサッカー文化と人種』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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