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大阪クリニック放火事件で実名発表した大阪府警~匿名化の流れに変化か?

個人情報保護法で顕著になった匿名化だが……。実名発表と実名報道を考える

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

 事件・事故があった場合、警察や自治体は犠牲者らの実名を発表すべきなのか。近年のプライバシー意識の高まりで、匿名にされるケースが増えてきた。個人情報が「守られる」半面、匿名化によって公益が損なわれるケースもみられる。

 2003年の個人情報保護法の制定以降、顕著になった匿名化の流れに変化がみられはじめた。実名発表と実名報道をどう考えたらいいのだろうか。大阪クリニック放火事件、京都アニメーション放火事件、神奈川の障害者施設刺殺事件、東京・新宿の歌舞伎町ビル火災を例に考えたい。

放火されたクリニックが入る雑居ビルの前で手を合わせる男性=2021年12月18日、大阪市北区

クリニック放火事件で大阪府警が「英断」

 昨年12月、大阪市の繁華街・北新地の雑居ビルに入る心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」(西沢弘太郎院長)が放火され、患者や医師ら25人が死亡するという凄惨な事件があった。患者であった谷本盛雄容疑者(61)が17日、ガソリンを持ち込んで火をつけた。

 こうした事件で犠牲者がでた場合、匿名発表することが常態化しているが、大阪府警は犠牲者の身元が確認でき次第、発表するとともに、容疑者についても実名を公表。その「英断」は、全国の警察関係者や報道関係者を驚かせた。

 プライバシーと公益性が衝突する場面であるが、在京紙(12月19、20日朝刊)をみると、判明した犠牲者と容疑者を実名報道した。さらに、谷本容疑者の顔写真を独自に入手し、掲載した。

 朝日新聞(12月19日朝刊)は「事件・事故報道では、一人ひとりの方の命が奪われた事実の重さを伝えることが報道機関の責務と考え、原則、実名で報じています」との「おことわり」を掲載した。

 産経新聞(同月20日朝刊)は容疑者について「男は重体のため逮捕されていませんが、負傷しなければ逮捕されているケースであることから、容疑者呼称とします」と報じた。

 放火した谷本容疑者は自らも一酸化炭素を吸って重篤患者として入院、直接話が聞けない大阪府警は、名前を公表することで情報を得たかったと思われる。事件に計画性があり、容疑者は「拡大自殺」を図ったもので、善悪の判断が出来ない状態ではなかったと考えられる点もあろう。

 ただ、容疑者は事件から約2週間後に死亡したため、動機を聞くことも刑事責任を問うことも不可能になった。

※お詫び
1月15日の公開時点で「大阪府警は犠牲者の身元が確認でき次第、発表するとともに、容疑者についても顔写真をつけて公表」とありましたが、容疑者の顔写真は各社が独自に入手したもので、府警が発表したものではありませんでした。編集部の確認が不十分でした。本文を修正するとともに、お詫びいたします。

京アニ放火事件での匿名発表

 2019年に京都市のアニメ制作会社「京都アニメーション」第一スタジオで、職業不詳の青葉真司容疑者がガソリンをまいて放火、勤務していた36人が死亡した。社会に大きな衝撃を与える事件で、犠牲者を実名で報じるのか匿名なのか、議論を呼ぶことにもなった。

 京都府警は当初、犠牲者の身元が分かり次第、実名発表する方針だった。しかし、京アニ側が公表を控えるよう文書で要請。遺族の了承を得られ、葬儀も終わった10人の実名を事件から約2週間後に発表した。全員の実名が発表されたのは、40日後のことだった。

 京都府警によると、犠牲者の半数以上の遺族が実名発表を拒否したという。それでも公表に踏み切った理由について、西山亮二捜査一課長(当時)は「事件の重大性に加え、社会的関心が非常に高く公益性があるため、公表した方がいいと判断した」と述べ、「匿名にするといろんな憶測が広がり、間違ったプロフィルも流れる。それで亡くなった方やご遺族の名誉が傷つけられる」とも語った。

 新聞各紙は府警の発表を受け、全犠牲者の名前を報道した。

 毎日新聞は「重要な出来事を正確な事実に基づき広く伝えることが報道の使命であり、当事者の氏名は事実の根幹であることから、毎日新聞は事件や事故の被害者についても実名での報道を原則としている」(2019年8月28日朝刊)と、実名報道の考え方を示した。

 朝日新聞は大阪社会部長の署名記事を掲載。「亡くなった方々に多くの人々が思いをはせ、身をもって事件を受け止められるように報道する。それが、事件に巻き込まれた方々の支援や、再発防止のあり方を社会全体で考えることにつながるのではないか」「失われた命の重みと尊さは『Aさん』という匿名ではなく、実名だからこそ現実感を持って伝えられる」(同・9月10日朝刊)と説明した。

  ただ、警察が犠牲者を実名発表すると、遺族らに取材が殺到、大混乱になり関係者を傷つけるということがしばしばあった。実名報道に強い抵抗感を抱く人たちがいることも事実だ。

多くの人が亡くなった京都アニメーション第1スタジオの建物の前で、手を合わせたり花を供えたりする人たち=2019年7月19日、京都市伏見区

障害者施設事件での徹底した匿名化

 2016年に相模原市の重度障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所する障害者19人が、「障害者なんていなくなればいい」という同施設の元職員、植松聖容疑者(26)に次々と刺殺された。神奈川県警は遺族の強い要望などで実名発表していない。

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