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ニュースサイトや言論サイトのコメント欄は有害無益である

赤木智弘 フリーライター

サイト側のコメント欄に対する「責任」とは

Profitable Portfolio/Shutterstock.com拡大Profitable Portfolio/Shutterstock.com

 そこで考えなければならないのは「責任」の所在だろう。

 記事に誤りや問題があれば、サイト側とそれを書いたライターの責任になる。一方で、コメント欄に誤りや問題があっても、書いた人が責任を負うことはほぼない。

 もちろんIPアドレスの開示要求などを通してコメントを書いた本人に責任を負わせることもできる。だが、そこまでして追い込むのはごく一部のケースに過ぎない。だから、コメント欄で叩かれた人たちはじっと我慢をするしかない状況になっている。

 読む側も、あくまでもコメント欄は記事本体ではないし、サイト側がバッシングやヘイトを煽っているわけではないことを理解している。

 だが、それでも「問題のあるコメントがサイトに掲載されている」という状況は変わらないし、それを読んで「楽しそうだから、俺もコイツらを叩いてやろう」と思う人が出てくる状況を止められない。それは結果として「ニュースサイト、言論サイトが無責任かつ扇動的な内容を発信している」という問題にまで発展してしまうことがあるのである。

 サイトが自らのサイトに記載された記事内容に責任を負うのは当然である。だが誰もが自由に書き込むことができるコメントに対する全ての責任を負うことはできない。

 ならばできないことはしない、コメント欄を設置しないことが真っ当なニュースサイト、言論サイトとしての責任なのである。

 もし、かつてのようにコメント欄が自由闊達な意見の場であるならば、それを維持する意味もあったであろう。

 しかし現在のコメント欄には「ストレス解消のために他人を罵倒する」「賛同されたくてネットで受ける意見ばかりを書き込む」ような人が少なくない。

 そうなればコメント欄には同じような目的の人しか近づかなくなる。建設的な議論をしたい人は書き込むどころか、目を通すこともしなくなるのである。

 僕自身も自分の記事のコメント欄には目を通すことはほとんどない。どういう立場か分からない人の意見を聞いてもあまり意味があるとは思えないし、建設的な意見を伝えたい人はメールなどで送ってくれるので、コメント欄で済ませられるくらいの意見を気にしても仕方ないと考えている。


筆者

赤木智弘

赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター

1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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