国内外40連勝のキング・オブ・ジムナスト 引退は新たな探求の始まり
2022年01月22日
濃紺のスーツで引退会見に臨んだ内村航平(33=ジョイカル)の顔は、清々しさに満ちていた。
「ただただ引退するんだな、みたいな感じで……今のところ実感があまりない」と、集まっていた150人を越える記者たちが拍子抜けするような、軽快な口調で切り出した。練習は毎日続けており、寂しさや虚脱感にふと襲われるような時間すらないようだ。
3月12日に、6種目のオールラウンダーとして「KOUHEI UCHIMURA THE FAINAL」(東京体育館)と題した引退試合を企画。「どんな状態でも、常に6種目やりたいとずっと思ってきた。(東京五輪で出場した)鉄棒だけで終わるのは、自分が自分じゃないみたいなので、全身痛い体にムチ打って6種目やろうと思っている」と、明かす。
12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪連覇と、世界選手権6回優勝を合わせて世界大会8連覇、さらに国内外での個人総合40連勝と、比類なき偉業を果たす過程で「6種目やってこその体操選手」と、言い続けたプライドと深い愛情を、「ムチ打って……」とユーモアたっぷりに表現した。
引退を決断したのは昨年の東京五輪から、生まれ故郷の北九州で行われた世界選手権(10月)を迎えるまでの時間だった。「世界一」と自負してきた練習量、質をこなせず、「これまでは、どんなにしんどい日でもやり切ることができたのに、気持ちを上げていくのも難しかった」と、答えを出したという。
その心境を問われると、「(その決断も)案外スンナリと……」と、決断に苦悩する様子をイメージしていた報道陣を笑わせた。
内村は、質問者が「質問は聞こえていたのだろうか?」と、時に不安に思うほど熟考し、言葉を慎重に選ぶ場合が多い。しかし引退会見中、間髪を入れずに即答した質問がある。「自分の体操でもっともこだわってきたもの、誇れるものは?」と聞かれた瞬間、「着地です」と力を込めて言い切った。
最高の着地は?と聞かれれば、自身も、体操関係者も、リオデジャネイロ五輪個人総合最終種目の鉄棒で、0.901点差を逆転し金メダルを獲得した伝説の着地をあげる。トップに立っていたオルグ・ベルニャエフ(ウクライナ)の着地はわずかにぐらつく。内村は難しい技である「後方伸身2回宙返り2回ひねり」で下りながら着地を決め、わずか0.099点の差で五輪連覇を達成。大会後しばらく経って、この時の着地について話を聞いた。
「鉄棒から手を放す時には、着地が成功するか失敗するかはもう決まっているんじゃないかと。(リオでは)降りて来る自分を、自分が見ているくらい余裕を感じました。(メディアは原稿に)着地をピタリ、と表現してくれますが、あの時はピタリじゃなくて、どこにも、何の衝撃も感じずにフワリと……そんな感覚でした」
体操の採点規則には「正しい着地」の定義が記されている。
「正しい着地とは、偶然の結果により収められたものではなく、準備がなされた実施である」(一部抜粋)。いくら演技の完成度が高くても、着地の失敗で0.1点から、転倒などでは最大1.0点まで減点されてしまう。
緻密な計算、それを可能にする高度な技術、何よりも偶然を徹底的に排除する練習の成果として、着地こそ「体操のキング」が全身全霊で追い続けた究極の技であり、神業の領域にも近づくものだったのではないか。
五輪連覇を果たした翌17年のモントリオール世界選手権跳馬で、大技を決めた代償に足首を痛め、7連覇の夢を絶たれて棄権。ここから体中を襲う勤続疲労との孤独な闘いが始まったといえる。
そうして迎えた世界選手権鉄棒の決勝(6位)で「これが体操だ、本物の着地だというのを見せられた」と引退会見で振り返った。
「本物の着地」との表現に、技術だけでも、体力だけでも、また精神的な強さだけでもなく、生き様が止めた着地だったとの思いが込められているように聞こえた。神業の領域で止めた栄光の着地と、挫折を多く経験した末に止めた生き様としての着地。自身の名前が冠された技はなかったが、着地こそ、内村にしかできない「ウチムラ」という名の技だった。
2020年、スペインのスポーツ紙「マルカ」が、21世紀の偉大なアスリートを発表した。男性編で、内村は、サッカーのスーパースター、ジダン(フランス、25位)、現在神戸でプレーする元バルセロナのイニエスタ(スペイン、37位)を抑えて23位と、日本人で最上位にランクされた
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