2022年01月24日
昨年(2021年)10月31日に行われた富山県高岡市議選で、漫才コンビ「母心」の嶋川武秀氏がトップ当選。漫才師を続けながら市議会議員としての活動をスタートした。
僕は母心の漫才は見たことがないが、よく聞くラジオ番組でリポーターをしていたことから名前だけは知っていた。選挙後にそのラジオに出演したときに「市議会議員になった」と報告していた。
僕は単純に「凄いなー」と思っていたし、彼の今後の活躍を楽しみにしていた。
しかし先日、彼の打ち出した政策がTwitterで話題になると、そこに疑問符を付けざるを得なくなった。
それは「高岡ポジティブ条例」という政策である。
嶋川氏は「(高岡市民に)『昔は良かった』というネガティブな発想」があることから、地元の文句やそこにいる人の悪口を言わないことなどを条例にしたいと主張する。その上で「ネガティブな発言があったら『条例違反ですよ』と言える」ような条例にしたい。そう述べている。
いやー、ポジティブ条例か。
ゲーム「パラノイア」の台詞ではないが「ポジティブは義務です、市民」とでも言いたくなるような、ディストピア小説そのものの世界観である。
ポジティブを義務化するなんて、漫才のネタとしてなら面白い題材かも知れない。しかし市議会議員の考え方としては、あまりに幼すぎやしないだろうか。
具体的な案が出ているわけではないので細かな批判はできないが、この条例の基本的な発想には民主主義の根幹を揺るがす問題が含まれるであろうことは、容易に想像がつく。
制度として「地域愛」を語ろうとすれば、そこに権力者が「地域を愛するとはこういうことだ」という規範を作り上げるしかない。
つまり条例として「何が高岡を愛するポジティブな発言か」「何が高岡を愛さないネガティブな発言か」を判断することになる。
一番分かりやすい地域愛である「愛国心」には、それこそ「天皇陛下を崇め奉ることが愛国だ」「靖国神社に参拝するのが愛国だ」「自衛隊を賛美するのが愛国だ」という“規範”を主張する人たちがいる。
その一方で「自衛隊のありかたに懸念を示すのは反日だ」「国を良くしようとしている政権与党を批判するのは反日だ」「昭和天皇の肖像を燃やすアート作品は反日だ」と、彼らの考える愛国心という規範から逸れたものを「反日」と見なす人たちも多い。
しかし、戦争に反対したり政権与党を批判したりすることは、本当に「反日」なのだろうか?
そうした人たちも、日本という国を愛するからこその反対や批判であることは言うまでもない。
だが、国が制度として「愛国の形」を作り上げれば、「国を批判することは反日」と見なされてしまう。それは民主主義の崩壊である。
それは高岡市のような地方においても同じである。
例えば
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