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外岡秀俊さんの言葉~明晰な文章で本質を究めようとした記者の鮮やかな軌跡

自由と公正を重んじ、信頼集めた言論人。折々に伝えてきた警句と希望とは

川本裕司 朝日新聞記者

希代の名文家、あらゆる分野で完成度高い記事

拡大外岡秀俊さん
 誰もが認める名文家だっただけではない。明晰でいて熱い文章で物事の本質を究める記事を書く人だった――昨年12月に亡くなった元朝日新聞記者の外岡秀俊さんについて、そう位置づけたい。

 取材で世話になった人や社内の先輩が亡くなると思い出深い光景が走馬灯のようにめぐるが、外岡さんについては違う。折にふれてかけられた言葉が、ふとした瞬間によみがえるという稀有な経験をいまかみしめている。あらゆる分野の取材で完成度の高い記事を仕上げながら、震災や沖縄にこだわってきた外岡さんの鮮やかな軌跡を振り返る。

歴史的事件では常に起用、未来予見させる記事も

 白い砂浜に、短い三つの影が落ちた。
 二人は男、一人は女だ。
 男たちは真っ白な麻のスーツに身を包み、パナマ帽を被っていた。ビーチパラソルを開き、男二人が水着になって海を眺めた。見ていたのは、海ではなかった。
 一九四〇年七月、香港島。
 二人の男の肩書は、日本の商社員だった。偽装である。
 一人は神戸から、欧州行きの客船で香港に着いたばかりだ。大本営陸軍部作戦課大尉、瀬島龍三。二十八歳だった。

拡大   外岡秀俊さん
 まるで小説の書き出しのように、連載「香港物語」は始まる。97年の中国への香港返還をはさみ、夕刊に36回連載された戦中、戦後の香港を舞台に日本人の関わりと返還について描いた知られざる現代史は上質な作品だった。歴史的事件になれば外岡さんはいつも起用され、水準を超える記事を書き続けた。

 と同時に、未来を予見させる記事も手がけた。88年5月、最高裁が刑事公判に一般の市民が直接参加する「陪審・参審制度」の研究に着手した、と1面トップで報じ、外岡さんは解説記事で「国民の理解と信頼をかち得ようとする姿勢を一段と明確にした」ととらえた。私の記憶では、2009年から始まる裁判員裁判の導入を正面から取り上げた最初の記事だった。

 後年、最高裁判決が及ぼす射程について自由な論評を認めようとしないとして、外岡さんは最高裁当局に批判的だったが、陪審制検討開始という歴史的記事の重みは変わらない。

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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞記者

朝日新聞記者。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを歴任。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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