「脆く崩れやすい自尊心」を憐れむ
2022年02月14日
日本の政治家の失言のメカニズムは容易に理解できる。ところが失言ではなく「暴言」となると、これはどうも心理学や精神分析の領域の話になる。
失言は、彼らの話す「公」の言葉がさっぱり機微に触れないことが背景だ。演説は大学の雄弁会の流れを汲んでか紋切り型、定型句、慣用句の羅列か、あるいは言質を取られぬ官僚話法「霞が関文学」の受け売りか、これでは有権者の歓心は買えない。
講演スピーチのハウツー本にも、ウケるためには個人的なエピソードが必須と書いてある。結婚式のスピーチ例集みたいなものだ。そこでモードを「私」に切り替えて、身内にしかしない「ぶっちゃけた話」「ここだけの話」をする。それは時に「危ない話」になる。危ない話はホンネを話してくれているからだと受け取る者たちは進んで共犯関係に飛び込む。本来は他人だった有権者が、これで身内=支持者になる仕組み。身内だから身内の話をするのではなく、身内の話をするから身内になるという逆転。
そして危ないことを言う方がウケるという成功体験が重なると、「女は産む機械」だの「(ナチス憲法の)手口に学べ」だの、はたまた金メダルにかじりついたりすることになる。まあ、中にはそれらが危ない、まずいとすら気づいていない場合もままあるが。
しかし石原慎太郎の場合はそれらとはやや違う。彼の発言は多く失言ではなく、世間でいう「暴言」に分類される。そんなことを言うと「危ない」「まずい」とされることを敢えて言って見せ、どこが危ないのか、何がまずいのかと反語として挑発し、既成概念(あるいは一般大衆の信じる常識、価値観)に「果敢に挑戦」という評価を得ることを目的としていた。
うっかり喋った過失が、外に漏れて批判されるのではなく、敢えて外に聞こえるように発信する、確信犯としての故意の「暴言」だ。意識的な発言だからメディアはそれらを「〜〜節」と呼んだ。失言ではない常態として。
しかしそれらは、既成の価値観や権威の反転を図っているのではない。価値と権威とをそっくりそのまま自分にシフトさせるのが目的だ。それは小説家として出発した彼の初期の発言からすでに顕現している。
石原は皇室への不敬で物議を醸した深沢七郎の『風流夢譚』を「とても面白かった。皇室は無責任きわまるものだったし、日本に何の役にも立たなかった」「読んでいてショックもなかった」(週刊文春1960年12月12日号)と評した。ここにあるのは皇室に対する上から目線だけではない。深沢七郎に対しても「面白かった」と持ち上げつつ「ショックもなかった」と自らの度量の大きさに着地する。全てを上回る「権威と価値の主体」たる自分だ。
これは28歳という若さ故の誇大な自意識とナルシシズムではない。それ以前もそれ以降もずっと同じなのだ。小説家ならばそれもまた一つの文学的立ち位置である。自らの創作において、作家は全能だ。無能な作家ですら。しかし彼は1968年、35歳で政治家になる。
彼の言葉は、作家による修辞的なアフォリズムや誇張や虚言の文学地平を離れる。しかし石原は変節しない。もっとも、肥大した自己愛の塊のような“先輩”諸氏が跋扈する年功序列の政界にあって、石原が「石原節」なるものを遺憾なく炸裂させるようになるのは1999年、都政の長たる知事、すなわち周りに誰もいなくなる“王様”になってからだ。
都政1年目、三宅村復興で都職員を村助役に送った際に村議会が同人事を否決。後にこの顛末を「せっかく頼まれて人を送ったら村議会のばかどもが否決した。おれは『お前ら、東京の顔をつぶしたな。そのうちひどい目に遭わせてやる。覚えていろ』と言ったんだ」と明かす。
2年目のガラパゴス出張では206万円をかけて大型クルーザーを5日間借り切った。都の予算を使った「余人をもって代え難」い芸術家四男の重用問題もあった。指摘されると「だって、息子でありながら立派な芸術家ですよ」「ちょっとヒステリックになっているんじゃないの、あなた方」と記者会見で気色ばんだ。
ホテル宿泊代も条例規定額を大きく超過する支出を続け、東京地裁は違法支出を認めた。エレベーター横の部屋だと音がうるさくて眠れないと怒鳴るのだそうだ。朝日新聞は
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