「医療者たちの自己犠牲で成り立つ現場ではいけないのです」
2022年02月18日
埼玉県ふじみ野市で起こった事件。渡邊宏容疑者(66)が、母親の弔問に訪れた医師の鈴木純一さん(44)を至近距離から散弾銃で射殺した。容疑者は母親が死亡した翌日に、「焼香に来てほしい」と呼び出していた。今回の事件は地域を支える訪問診療に影を落とした。
病気があっても、体が自由に動かなくても、人生の最期は自宅で過ごしたい。そんな患者や介護が必要な人の希望を叶えるのが、訪問診療や訪問看護、介護だろう。「病院から地域へ」という国の方針もあって、在宅で医療や看護、介護を受ける人たちが増えている。
厚生労働省の患者調査(2017年)によると、調査日に在宅医療を受けた推計外来患者数は18万人ほどで、増加の一途をたどる。訪問看護利用者数は1カ月あたり約42万人にものぼり、こちらも増えている。
地域医療の重要性がますます高まっている状況で起こったふじみ野の立てこもり・医師殺害事件。亡くなった医師の鈴木純一さんは、まさに地域医療の担い手だった。
三木教授は、今回の事件の印象を「報道ベースで知る限り」と断った上で、次のように述べる。
「正直に言いまして、“想定外な事件”だと感じています。確かに、暴力やハラスメントが在宅の現場で実際に起こっています。しかし、家を訪問した医療関係者を散弾銃で撃つというシチュエーションは、日本では考えられないことでした。いよいよ想定外のところまで備えなければならないのかというのが、率直な気持ちです」
三木教授が委員長としてまとめた全国訪問看護事業協会の調査「訪問看護師が利用者・家族から受ける暴力に関する調査研究事業報告書、2019年」をみると、「全業務期間における利用者・家族からの暴力等の経験率」は「身体的暴力」が45.1%、「精神的暴力」が52.7%。なんと訪問看護師のほぼ半数が、過去に暴力を経験していた。
一方で、そういう経験をしたことで「訪問したくない」「辞めたい」と思いつつ、再び利用者宅を訪問し、訪問看護師として仕事を続ける人が多いことも明らかになっている。
「辞めない理由にはいろいろな事情があると思いますが、その一つに、『訪問看護の面白さや重要性を感じている』というのが挙げられます」
医師主導で行われる病院・診療所での看護業務と違い、訪問看護では看護師の裁量が大きい。そこにやりがいを感じている看護師は少なくない。三木教授は「この事件をきっかけに訪問看護師を辞めるという人は、それほど多くないのではないか」とみている。むしろ気にしているのは、この事件で訪問看護師を目指す若者が、この仕事に魅力を感じなくなったり、不安や恐怖を抱いたりしてしまわないかという点だ。
「それを払拭するためにも、国は訪問診療、看護、介護の実態を知ったうえで、安全対策について調査し、どうすべきか考える必要がある」
と三木教授は主張する。
今回の事件に限らず、悪質クレーマーはどこにでもいる。病院の受付で怒鳴り散らす患者や家族を見たことがある人もいるだろう。だが、患者や家族にとって病院・診療所はあくまでも「アウェー」であり、多くの「目」があるなかである程度の制御は働く。だが、患者や家族にとって自宅は「ホーム」であり、守られた空間だ。怒りや悲しみといった感情を制御しにくいという面もある。
そのため、自宅を訪問する医療者はある程度のリスク回避策を行っている。
「今回のケースでみると、容疑者の男性から電話があったものの不審に思ったので、訪問しなかった事業所もありました。これはリスクマネジメントの視点からすれば、通常の判断だと思います。ただし、これは被害を受けた医師や医療関係者を非難しているわけではありません。そうやって無理をしてまで行かなければならない背景も考えなければならないのです」
その背景を推し量る三木教授は、「最後の砦」という言葉を使ってこう説明する。
「容疑者の男性は過去にもさまざまな医療、介護現場で問題を起こしていたと報じられています。
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