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強制不妊手術への賠償判決、国は上告を断念せよ

大阪高裁は、「少数派の人権」を擁護し、正義を貫いた

前田哲兵 弁護士

全国初の高裁判決

 2022年2月22日、歴史的な判決が下った。

 旧優生保護法に基づいて優生手術(不妊手術)を受けさせられた被害者が国を訴えていた裁判で、大阪高裁が大阪地裁判決を覆し、被害者側の請求を認めたのだ。

 旧優生保護法をめぐる裁判は、2018年に仙台地裁に全国で初めて提訴された後、9カ所の裁判所に提訴された。そのうち、仙台、東京、大阪などで合計6件の地裁判決が下されたが、いずれも原告の請求を認めなかった。今回は全国初の高裁判決ということで注目が集まっていた。

素材ID 20220222OPHO0002A国に損害賠償を命じる控訴審判決を知らせる弁護団ら=2022年2月22日、大阪市北区

 私は東京の弁護団に所属している。以下、大阪高裁判決を受け、私見を述べたい。なお、本稿は、弁護団としての意見を述べるものではないことにご留意いただきたい。

歴史にみる優生思想

 旧優生保護法は、「優生思想」に基づき、戦後の1948年に制定された。

 優生思想とは聞きなれない言葉かもしれないが、要するに、人を「優秀な人」と「不良な人」に分けて、不良な人を社会から排除しようとする思想のことだ。

 歴史的にみれば、人類は古くからそのような思想を持っていたように思う。

 例えば、古代ギリシアの都市国家スパルタでは、障害を負って生まれてきた新生児を川に流して溺死(できし)させる風習があった。また、ローマ時代のマルセイユでは社会的義務を果たせなくなった瀕死(ひんし)者に死毒を与えるよう市議会で決議していた。

 チャールズ・ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴルトンが、自身の著書の中で「優生学」(eugenics)という言葉を作り出したのは1883年のことであるが、人類はそのはるか以前から優生思想という闇を抱えてきたのだ。

 その闇が最も忌むべき形で現れたのが、ナチスドイツによる「T4(ティーフォー)作戦」だろう。第2次世界大戦中に秘密裏に行われたこの安楽死計画によって、障害のある人々を含め、ナチスドイツによって「生きるに値しない命」とされた人々がガス室に送られた。7万を超える犠牲者を前に、ヒトラーはそれを「恵みの死」と呼んだ。

優生思想と断種法

 優生思想は、上記のように「社会にとって無用な命を積極的に排除する(つまり殺害する)」という施策の他に、「社会にとって無用な命を残すことを禁ずる(つまり断種する)」という施策をも産み落とした。

 障害のある人々を「不良な人」と差別し、その存在を社会から排除すべく、子供を作れないようにする「不妊手術」を受けさせるようになったのだ。

 1907年、アメリカはインディアナ州で世界初の断種法が制定されると、その後、同国内で制定ラッシュが続き、1923年には32州で制定されるに至った。

 1933年にはナチスドイツで、1934年にはスウェーデンでも制定されるなど、それは次第に世界に広がっていった。

 そして1948年、戦後間もない日本においても断種法が制定された。それが旧優生保護法だ。

日本における優生施策

 旧優生保護法の第1条には、法律の目的として、「優生上の見地から不良なる子孫の出生を防止する」と規定されていた。「優生上の見地」とは「優生思想」のことである。

 この国は、優生思想に基づいて、障害のある方々に不妊手術を受けさせ、子孫を作ることを禁じてきたのだ。

 現代の人権感覚からすると考えられない法律であるが、この法律は、その後1996(平成8)年まで維持された。

 ごく最近まで、この法律は確かにこの国に存在し、社会のルールとして人々に共有されていたのだ。それは、障害のある方々からすれば「生きるな」と言われている社会に等しい。ご家族を含め、どれだけ深い苦悩がそこにあったのか、察するに余りある。

素材ID 20220222OPHO0008A控訴審判決を受け、会見する原告=2022年2月22日、大阪市北区

 実に48年間も続いた旧優生保護法下において不妊手術を受けさせられた人々は、統計に表れているだけでも2万5000人以上にのぼる(旧優生保護法下において国がいかに卑劣な施策を行ってきたかについては、拙稿「患者と医療者の権利 誰がどう守りますか?」をお読みいただきたい)。

1996年は「昔」か「今」か

 私が旧優生保護法という法律の存在を知ったのは、多くの読者同様、2018年の仙台提訴の報道に触れた時だ。私はそのとき、このような差別的な法律が1996年まで存在していたことを知り、衝撃を受けた。

 1996年といえば、バブルの崩壊とともに、それまでの経済成長に支えられてきた「昭和的な価値観」が薄れてきた頃だ。前年には、阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きていた。社会はどこか閉塞(へいそく)・虚無感に覆われていた。

 音楽ユニットのPUFFYは、その虚無感を射抜くように「美人 アリラン ガムラン ラザニア」とひたすら無意味に(むしろ意味を拒絶するかのように、半ばやけっぱちに)歌い、新しい世代の登場を宣言していた。世間には確実に平成的な価値観が広がり始めていた。

 つまり、1996年とは、私の個人的な体験としても社会全体の体験としても、現在では完全に失われてしまった「昭和的な世界」ではなく、現在と地続きになっている「平成的な世界」の始まりにあたるような年であったといえる。

 私は、「その1996年に、まだ旧優生保護法が存在していた」という事実に衝撃を受けたのだ。それは、ナチスドイツに代表されるような明らかに前時代的な法律が、自らが生きてきた「平成的な世界」においてもなお存在していたことに対する強烈な違和感ともいえる。

 私は、当初、国に対する怒りというよりも、そのような思想を社会の一員として知らず知らずのうちに共有してしまっていた自分自身の無知に対する怒りから、もしくは、その無知によって傷つけられていた方々に対する罪の意識から弁護団に加入したように思う。

除斥期間の壁

 この裁判の争点はいくつかあるが、最も大きな争点は「本件に除斥(じょせき)期間を適用するか」という点だ。

 除斥期間とは「時効の強力バージョン」といえる。「悪いことをしても、20年経てば損害賠償を請求されなくなる」という制度だ。被害者には酷な制度ともいえる。

 国側の言い分は、要するに、「もう既に20年以上経過しているから、国が悪いことをしていたとしても責任はありません」というものだ。裏を返せば、被害者に対して「早く訴えていればよかったじゃないですか?」と言っているに等しい。

素材ID 20211130OSHK0082A旧優生保護法をめぐる訴訟で、大阪高裁に入る原告側の代理人弁護士や支援者ら=2021年11月30日、大阪市北区

 では、少なくとも2万5000人はいる被害者のうち、一体何人が訴えることができていたのだろうか。

 全員ではないにしても、あまりに酷(ひど)い話だ、1万人くらい訴えていてもおかしくないだろう。それで多すぎるというなら1000人はどうだろうか?

 いやいや、答えは「0人」だ。

2万5000の沈黙

 2万5000人以上もの被害者がいたにもかかわらず0人。2018年の仙台提訴まで、誰一人として声を挙げられなかったのだ。これは驚くべき数字ではないだろうか。統計学的にいえば、もはや提訴は「不可能」の部類に属するといえる。

 では、どうして誰も声を上げることができなかったのか。私は拙稿「優生手術と2万5000の沈黙」において、次のように述べた。

 では、その原因とは何か。
 それは障害者に対する差別意識だ。それは、問題を問題として認識させないほどの強烈な差別意識だ。当時、弁護士ですら誰も声を上げなかったほどに、裁判官ですら優生保護審査会の委員として手術を認める立場に回ってしまうほどに、空気のように存在し、誰も気づくことすらできなかったほどに強固な差別意識だ。

 不妊手術を受けさせられた被害者は、そもそもその手術の内容をきちんと説明してもらっていなかった。家族の中では緘口令が敷かれ、他言することを禁じられた。そもそも「旧優生保護法」という法律の存在自体知らないのであって(弁護士である私ですら2018年まで知らなかった)、国が加害者であるなどとは思いもしないだろう。

 その上で、被害者たちは世間の差別意識に晒(さら)され続けていた。そういった事情があり、被害者は訴えることができなかったのだ。

 そうすると、被害者が国を訴えることができなかった原因は、差別意識を国民に植え付けた国にあるといえる。

 そうであるのに国は、裁判で「20年以上経過しているから、国が悪いことをしていたとしても責任はありません」「早く訴えていればよかったじゃないですか?」と反論し続けた。

 ようやく声を上げることができた被害者らに対して、これはあまりに残酷な物言いではないだろうか。

大阪高裁の判断

 しかしながら、大阪高裁は、これらの国の反論を論旨明快に説き伏せた。

 例えば以下の判示だ。

 そして、国家のこのような立法及びこれに基づく施策が、その規定の法的効果をも超えた社会的・心理的影響を与え…(中略)…かねてあった差別・偏見を正当化・固定化した上、これを相当に助長してきたことを否定することはできない。
 そうすると、控訴人(原告)らにおいて、優生手術に係る国家賠償請求訴訟提起の前提となる情報や相談機会へのアクセスが著しく困難な環境にあったのは、控訴人の障害を基礎に、違法な立法行為によって制定された旧優生保護法の本件各規定の存在及びこれに基づく被控訴人(国)の施策と社会的な差別・偏見が相まったことに起因するものというべきである。

 要するに、「法律で障害者を差別していたという事実が社会に与えた影響はたしかにある。そういった差別を国がしていたから、障害者に対する差別や偏見が助長されていったのだ」ということだ。

 注目すべきは、判決が、多くの被害者がいるにもかかわらず2018年まで誰一人として訴訟提起をできていなかったという実情を捉えて、「旧優生保護法及びこれに基づく優生手術が、障害者を取り巻く社会・心理及びこれを前提とする司法アクセスにどのような影響を与えてきたかを物語るといえる。」と指摘している点だ。

 要するに、大阪高裁は、万単位の被害者が誰一人訴えることができなかった理由として、そこに国が助長した「差別」という大きな障壁があったということを指摘したのだ。

 以上のような事情を考慮し、大阪高裁は、「控訴人らについて、除斥期間の適用をそのまま認めることは、著しく正義・公平に反する」として、本件について除斥期間の適用を制限した。

 大阪高裁判決は、まさに正義を貫いた判断といえる。

 司法の役割は、「少数派の人権」を擁護することにある。国会や政府が自ら過ちを正さない現状において、裁判所がその罪を断罪した意味は極めて重い。

 私は、司法というものをこれほど力強く感じたことはこれまでにない。判決文を読んでいて、私は、そこに正義があることを確かに実感した。

国の存在意義とは

 私は、前出「優生手術と2万5000の沈黙」の中で本件に対する国のあり方について、次のように述べた。

 国というのは、本来、「国民の人権を守るため」に存在している。統治機構とはそういうものであって、これは、憲法学の「基本中の基本」だ。国が国それ自体の繁栄のために存在しているのではないし、為政者のために存在しているのでもない。
 その「国民の人権を守る」ことが役割であるはずの国が、国民の人権を蹂躙(じゅうりん)したのだ。本末転倒も甚だしいが、しかし、過ちを犯したのであれば、本来は、国が被害者に対して「あなたの人権を侵害してしまいました」と説明し謝罪すべきだ。これは当たり前のことではないか。

 この考えに一片の変わりもない。全くもって正しい。

 国は、除斥期間などという自らが用意した「隠れ蓑(みの)」に隠れるのではなく、最高裁に上告するのでもなく、真正面から被害者に向き合い、真摯(しんし)に謝罪すべきだ。

 国民の人権を蹂躙しておきながら、「20年以上経っているので国に責任はありません」などという幼稚な主張を繰り返すことは、いい加減やめるべきだ。

 国には、「自らの主張は、国民を代表して行っているのだ」という自覚を持っていただきたい。現在の国の主張は、この国の人権感覚を後退させるだけではないか。そのようなことをして、国は一体、何を守ろうとしているのだろうか。

ハンセン病賠償では「控訴断念」、正しい政治判断だった

 例えば、2001年、ハンセン病患者に対する隔離政策について国が熊本地裁で敗訴した際、時の小泉純一郎総理は、政府内の反対を押しのけて、控訴しないことを決断した。

 2019年には、ハンセン病患者の家族についても賠償を認めた熊本地裁判決を受けて、時の安倍晋三総理は、同じく控訴しないことを決断した。

 これらは立派な政治判断だ。

素材ID 20190709TPHO0013Aハンセン病家族訴訟の控訴を断念する意向を表明する安倍晋三首相(当時)=2019年7月9日、首相官邸
素材ID 20101215P077714ARハンセン病患者に対する国家賠償を認めた熊本地裁判決に対し、小泉純一郎首相(当時)が控訴断念を決めたのを受け、記者会見する原告ら=2001年5月23日、東京・霞が関の弁護士会館

 岸田文雄総理がこの度の大阪高裁判決を受けて、どのように対応するのか、

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