強制不妊手術への賠償判決、国は上告を断念せよ
大阪高裁は、「少数派の人権」を擁護し、正義を貫いた
前田哲兵 弁護士
日本における優生施策
旧優生保護法の第1条には、法律の目的として、「優生上の見地から不良なる子孫の出生を防止する」と規定されていた。「優生上の見地」とは「優生思想」のことである。
この国は、優生思想に基づいて、障害のある方々に不妊手術を受けさせ、子孫を作ることを禁じてきたのだ。
現代の人権感覚からすると考えられない法律であるが、この法律は、その後1996(平成8)年まで維持された。
ごく最近まで、この法律は確かにこの国に存在し、社会のルールとして人々に共有されていたのだ。それは、障害のある方々からすれば「生きるな」と言われている社会に等しい。ご家族を含め、どれだけ深い苦悩がそこにあったのか、察するに余りある。

控訴審判決を受け、会見する原告=2022年2月22日、大阪市北区
実に48年間も続いた旧優生保護法下において不妊手術を受けさせられた人々は、統計に表れているだけでも2万5000人以上にのぼる(旧優生保護法下において国がいかに卑劣な施策を行ってきたかについては、拙稿「患者と医療者の権利 誰がどう守りますか?」をお読みいただきたい)。
1996年は「昔」か「今」か
私が旧優生保護法という法律の存在を知ったのは、多くの読者同様、2018年の仙台提訴の報道に触れた時だ。私はそのとき、このような差別的な法律が1996年まで存在していたことを知り、衝撃を受けた。
1996年といえば、バブルの崩壊とともに、それまでの経済成長に支えられてきた「昭和的な価値観」が薄れてきた頃だ。前年には、阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きていた。社会はどこか閉塞(へいそく)・虚無感に覆われていた。
音楽ユニットのPUFFYは、その虚無感を射抜くように「美人 アリラン ガムラン ラザニア」とひたすら無意味に(むしろ意味を拒絶するかのように、半ばやけっぱちに)歌い、新しい世代の登場を宣言していた。世間には確実に平成的な価値観が広がり始めていた。
つまり、1996年とは、私の個人的な体験としても社会全体の体験としても、現在では完全に失われてしまった「昭和的な世界」ではなく、現在と地続きになっている「平成的な世界」の始まりにあたるような年であったといえる。
私は、「その1996年に、まだ旧優生保護法が存在していた」という事実に衝撃を受けたのだ。それは、ナチスドイツに代表されるような明らかに前時代的な法律が、自らが生きてきた「平成的な世界」においてもなお存在していたことに対する強烈な違和感ともいえる。
私は、当初、国に対する怒りというよりも、そのような思想を社会の一員として知らず知らずのうちに共有してしまっていた自分自身の無知に対する怒りから、もしくは、その無知によって傷つけられていた方々に対する罪の意識から弁護団に加入したように思う。