[2月19日~2月25日]福島市、イスタンブール~ブカレスト~ウクライナ
2022年03月01日
ウクライナより愛をこめて④ 雪の国境越え、赤ちゃん連れに順番を譲る人々
2月19日(土) 『報道特集』の生放送の日。前半はアサリの産地偽装問題のその後。これはCBC(中部日本放送)の長年にわたる調査報道の結果を『報道特集』内でおよそ1カ月前に放送したところが、国や行政が慌てて動き出して、スーパーマーケットから熊本産のアサリが消えてしまうほどの衝撃が拡がった。その続報だったが、産地偽装をきっかけに日本の食の構造の病んだ部分がどんどん露呈してきた形だ。深い話である。
後半は緊迫するウクライナ情勢。ガルージン駐日ロシア大使との緊張感を孕んだやりとりもごく一部だが放送されていた。ロシアとウクライナとベラルーシは一体だ、と断定していた。驚いた。
先週の日本記者クラブでの駐日ウクライナ大使の「内戦」発言も考えさせられた。自分が、だ。正確には僕が質問で使った言葉は「内戦状態」であって、同じウクライナ人同士が殺しあうのは取材していて悲しい気持ちになったということを日本語で喋ったのがいけなかった。コルスンスキイ大使は幾分怒気を露わにして「内戦」という表現には同意できないと、まず述べた。こういうことはきちんと伝えた方がいいのだ。夜、プライベートな用件で動く。
2月20日(日) 朝、がんばってプールに行き泳ぐ。このところ食べ過ぎで体重が増しているので、がっつりと泳ぐ。メディア状況に関する原稿を書き始める。
1月27日にNHKの『ニュース シブ5時』という番組で放送された「政権の歴史戦チーム」なるものの岩田明子解説委員による言い草があまりに酷くて、あきれ果ててしまった。
まあ、どういう人物かは、彼女のこれまでのメディアでの言動を見る限りわかっていたつもりだったが、あまりにも度を越した臆面のなさに接すると、もはや救いのなさを感じてしまう。自発的隷従。どのような政権になろうとも権力に傅(かしず)くその「精神の奴隷」のような生き方に、何だか虚しさに襲われる。
2月21日(月) 朝10時東京発の新幹線で福島県内へと向かう。その都市は雪こそ降っていなかったがかなり寒かった。新幹線の駅の改札口でメンバーが合流して、撮影地点へと向かう。ところがこの日はとびきり冷え込んでいて、時折雪もちらつく。まいった。
対東京電力・こども甲状腺がん訴訟の原告の方の生まれ故郷に来て、生まれ育った環境のなかでお話をお聞きした。撮影箇所は2カ所にとどめたが、移動先の福島市内は雪が本格的に降り続いていた。彼女の語る事実の重みにこころが動揺した。そのまま尊敬している元福島県知事・佐藤栄佐久さんとコンタクト。Nディレクターらは早めに帰京する。
2月22日(火) 今日もこの都市はかなり冷え込んでいる。朝『報道特集』の定例会議オンライン参加。少しばかり体を動かしてから東京に戻る。ベラルーシの件でT氏。毎日新聞のコラム原稿。
ウクライナ情勢がきな臭くなってきた。かなりヤバい。これはウクライナ東部に行くことを考えねばならない。8年前もあの地域の取材に行った身としてはなおさらだ。局にあがって打ち合わせ。ウクライナ情勢をめぐってすみやかな、かつ総合的な判断が必要な局面。
結局、Kディレクター、Iカメラマンらと一緒にウクライナ入りすることが決定。何と明日の夜、羽田を発つ。キエフへの便を飛ばしているのはトルコ航空。うまく行けば、最短で現地時間の24日朝にはキエフ空港に到着できる。Kディレクターは何と今日は泊まり勤務だという。ええっ? 航空券の予約やワクチン接種証明書などすべての入国手続きをKに一任しているので。
急いで帰宅して、とりあえずの準備。これまでの戦地を含む海外取材の教訓から、荷物は少ない方がいいのだが、スーツケースだけは大きめのにする。気候は日本とそんなに変わらないだろう。
2月23日(水) 朝早く目が覚め、パッキング終了。午前10時から、メディア学会の部会の沖縄報道をめぐる連続勉強会の打ち合わせ。ここのメンバーの人たちは皆ヤル気があって実務的でとても気持ちがいい。
14時、以前から楽しみにしていた『ラビット・ホール』。翻訳劇にともなう限界がいくぶん感じられたが、見てよかった。
19時30分にK、I、Tと合流。何とTは僕が教えている早稲田大学で修士論文の口頭試問を担当したTだった。驚き。まさか自分の教え子世代と今のウクライナに行くことになろうとは。羽田の国際線は、空港の店舗もほとんど閉まっていて、謝礼のお土産品を買うどころではなかった。
22時30分に羽田を離陸。トルコ航空はさすがにがらがらに空いていて、エコノミークラスで3席を使って横になって寝ていくことができた。いつもは国際線に乗ると映画をみてしまうのだが、明日のキエフ入りを考えて、ここは眠っておかなければならない。
2月24日(木) トルコのイスタンブールに到着したのは、現地時間の午前5時すぎ。1時間30分あまりのインターバルで、キエフ行きの便が出る。そこで僕らはターミナルへ急いだ。この2年ほど、コロナのあおりでしばらく海外に出ないうちに、イスタンブール空港の構造は少し変わっていた。バカでかい不夜城であることに変わりはないが、ターミナル数が増えた上、待機場所として使っていたラウンジの場所が変わっていた。
このまま順調に1時間半のフライトでキエフに入るはずだった。ところが、何と出発間際になっても飛び立つ気配がない。ええっ? やはりただならない状況が迫っているのか。トルコ航空からは何の説明もない。一緒にキエフ行きを待っていた乗客たちが真剣になってネットやラジオから情報を収集している。彼らはウクライナ人なのだろう。それらの人たちの何人かに話を聞いてみた。僕の下手なロシア語も通じた。
結局、キエフ行きのフライトは欠航(キャンセル)となった。理由については何の説明も航空会社からはなかった。これは困った。あわてて他の乗客らとも情報を共有して、チケットカウンターへと向かう。ウクライナ国内へはどこも飛んでいないので、
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