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北京パラリンピックに挑むアスリートたち~東京五輪決定から9年、多様性を広げてきた道のり

「オリ・パラ」は一つの言葉となり人々の意識を変えた。社会はどう発展していくのか

増島みどり スポーツライター

夏冬二刀流が続々、潜在能力の限界に挑むパラアスリートたち

 男子スノーボードハーフパイプの平野歩夢(23=TOKIOインカラミ)は昨夏の東京でスケートボードに出場し、日本五輪史上5人目の夏冬出場を達成。わずか半年ほどの期間で本職に戻ると、世界初の大技を決めて金メダルを獲得した姿は強烈なインパクトを残した。北京パラリンピックでも、かつてないほど多くの選手たちが二刀流と、短期間での切り替えに挑戦する。

 主将の村岡は、約2年、かねてから念願だった陸上競技での五輪出場を目指してトレーニングに専念し、東京では100㍍に出場。6位入賞を果たして雪上に戻ってきた。

 「平昌から東京での陸上出場を目指す間、全てがスキーとは違っていましたが、競技への対応力だけではなく、あらゆる点で成長できたと感じています」と振り返る。陸上のトレーニングに専念したため体幹が強くなり、二刀流はバランス感覚やスピードに好影響をもたらした。今季はW杯6勝などレベルアップにつながったと手応えを見せる。

拡大【左】東京パラリンピック・男子走り幅跳び(義足・機能障害T63)決勝で跳躍する小須田潤太選手。自己ベストを更新し7位=2021年8月28日【右】北京パラリンピックに向け調整する小須田選手(左)=小須田選手の公式インスタグラムから
 昨年の東京で走り幅跳びに出場した義足の小須田潤太(31=オープンハウス)は、21歳で見舞われた交通事故でスポーツを諦めかけた。パラ陸上の第一人者・山本篤が開いた義足スポーツの教室に参加して一転、山本の背中を追って走り幅跳びを始めた。東京では同種目7位に入賞し、北京ではスノーボード出場を叶えた。

 視覚障害のクロスカントリーに出場する有安諒平(ありやす・りょうへい、35=東急イーライフデザイン)は昨年の東京ではボートに出場し、ノルディックスキー距離とバイアスロンに出場する佐藤圭一(42=セルフォースジャパン)も、トライアスロンに出場している。

拡大【左】東京パラリンピック・混合舵手つきフォアに出場した日本チームの有安諒平選手=2021年8月27日【右】北京パラリンピックにはクロスカントリーで出場する有安選手=日本障害者スキー連盟提供

「社会で理解されるようになった証。ポジティブなメッセージに」

 今大会日本選手団の河合純一団長は、かつて競泳の視覚障害のクラスで五輪6大会に出場し、金メダルを含む21個のメダルを獲得したキャリアを持つ。夏冬二刀流選手が、パラにも多く存在する現状にこう期待を寄せる。

 「選手の努力はもちろん、二刀流の存在はそれだけパラ選手の競技環境が、社会やスポーツ界で少しずつ理解されるようになった証でもある。障がいがあるからできない、ではなく、自分の限界を決めず、競技者としての能力をさらに引き出そうとする姿は色々な面でポジティブなメッセージにもつながります」

拡大【左】ワールドトライアスロンパラシリーズ横浜大会での佐藤圭一選手。リオパラリンピックのトライアスロンにも出場した【2】平昌パラリンピック・バイアスロン男子15キロ立位で滑走する佐藤選手=2018年3月16日
 選手たちはコロナ禍での体調管理、遠征や試合が減るなか、実戦感覚を保って昨夏から短期間での切り替えをこなした。その調整力や精神的な逞しさにも驚かされる。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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