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北京パラリンピックに挑むアスリートたち~東京五輪決定から9年、多様性を広げてきた道のり

「オリ・パラ」は一つの言葉となり人々の意識を変えた。社会はどう発展していくのか

増島みどり スポーツライター

拡大【左】平昌パラリンピック・アルペンスキー大回転女子座位で金メダルを獲得した村岡桃佳選手。ゴール後に掲示板を見て喜んだ=2018年3月14日【右】東京パラリンピック・陸上女子100メートル(車いすT54)で6位に入り、観客席に手をふる村岡選手=2021年9月1日

「殻を破った」村岡の存在

 「人見知りで内向的な殻を破って」と話す村岡(埼玉県深谷市出身)は、昨夏の東京で夏冬出場を果たし、競技者としてスポーツの既成概念の殻を大きく突破した。大学進学、大学スポーツ界でも「殻を破って」周囲を変えた経験を持つ。

 4歳で「横断性脊髄炎」に感染し、麻痺のために車いす生活に。中学から座位で行うチェアスキーに取り組んだ。

情熱・実力・努力を見た早大監督、「こちらが変わればいい」

 大学受験を前にした高校2年の頃、早大スキー部の当時監督・倉田秀道氏(あいおいニッセイ同和損保)は進学の相談を受けたが、寮生活が原則とされる体育会スキー部にバリアフリーなど設備はなく、「受け入れは難しい」と、一度断った。

 ある時、同じ合宿先で再会し、悪天候のなかで黙々とトレーニングに臨む姿に、「これだけの情熱、実力、根性を備えているのに、車椅子だからと断り、芽を摘むのは間違いだ。ほかの学生と同じ機会を与えるよう、こちらが変わればいいのでは……」と、気付かされた。

拡大早稲田大学生時代、スキー部で部員とともに筋力トレーニングに取り組む村岡桃佳選手=2015年6月
 そして大学にパラ選手初の「トップアスリート入学」を実現するため懸命に働きかける。16年のリオデジャネイロ五輪を控え、東京五輪への準備も本格的に始まった時期、倉田氏は必ず「東京オリンピック・パラリンピックは一つの単語」と、関係者を説得したという。

 「東京五輪に向けて両者はひとつの言葉。差別なく多様性を認めるべきと説得しました。彼女はどんな壁でも努力できるなら、と諦めませんでしたし、学生たちも、真面目に同じスキーに取り組んでいる選手を受け入れるのは当然、と判断してくれた」

スキー部と大学全体に心のバリアフリー化が浸透

 その後、大学が数百万円を投じて寮のバリアフリー化をはかった話は知られている。しかし倉田氏は設備以上に、たった1人の車いすアスリートの存在が部員、OBを含めた部の伝統や歴史、大学全体にもたらした「心のバリアフリー化の浸透ぶりとスピードに驚かされた」と振り返る。

 北京五輪ノルディック複合団体では、早大スキー部OBの渡部暁斗・善斗兄弟、永井秀昭、アンカーとして逃げ切る好走を見せた山本涼太が28年ぶりの表象台に立って銅メダルを手にした。村岡にとって同じ寮で共に練習した先輩、後輩たちの大活躍が励みであり、彼らにとっても「殻を破った」スキーヤーを間近で見た経験がプラスとなった。

拡大北京五輪ノルディック複合男子団体で獲得した銅メダルを掲げる(左から)渡部暁斗、渡部善斗、永井秀昭、山本涼太の4選手=2022年2月18日、中国・張家口メダルプラザ

スポーツが発信した「多様性と調和」をどう浸透させていくか

 2013年9月、

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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