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ご都合主義的な「中立」保持で「平和」を構築しようとしないIOC

バッハ会長の発言から読み解く「五輪と政治」

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

オリとパラ、割れた対応

 「ロシアの国民にも選手にもロシア・オリンピック委員会(ROC)にも責任はない」。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長がロシアのウクライナ軍事侵攻に関してROCとロシア選手に制裁をしないと表明した。北京冬季五輪パラリンピック期間中の国連総会の五輪停戦決議の違反については「ベラルーシの支援を受けたロシア政府による違反だ」とした。

 一方、北京冬季パラリンピックについて、国際パラリンピック委員会(IPC)はロシア・パラリンピック委員会(RPC)とベラルーシの選手の参加を認めない方針を打ち出した。これまで大会から除外せず、「中立選手」として参加を認めていた。五輪とパラリンピックでちぐはぐな対応が浮き彫りになった。

会見するIPCのアンドリュー・パーソンズ会長=2022年3月2日会見するIPCのアンドリュー・パーソンズ会長=2022年3月2日

 確かに選手に問題はない。ただ、国の代表でなく、その国のオリンピック委員会(NOC)の代表ならば、五輪大会に出場可能なのか。その国の政府とNOCは密接に関係している。国の予算でNOCが運営され、政治家がNOCの委員を兼任することも多い。政府とNOCそれぞれが切り離された関係ではではないのだ。

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 北京冬季五輪をめぐっては政治の問題が頻出した。開催前には新疆ウイグル族への人権弾圧問題や国共産党の元高官による女子テニスの彭帥選手へのセクハラ問題がクローズアップされた。また、大会期間中にはROCのカミラ・ワリエワ選手のドーピング違反が発覚した。

 北京冬季五輪閉会の式辞でバッハ会長は「皆さんは分断を克服しましたオリンピックの仲間はみな平等であることを示しました。オリンピックの結束する力は、分断する力よりも強いのです」と演説した。これらの状況のどこが分断の克服なのだろう。

 IOCやバッハ会長の動きを観察していると、「平和の祭典」オリンピックの理念と実態のずれを感じる。オリンピックに理念は不可欠だ。IOCによってその理念がどう実行されているかが問われている。オリンピック理念をもとにしたオリンピック憲章の根幹が正しくても、そこに制度的な抜け穴があれば、IOCによってその運用が恣意的に行われ、不可解な実態として表出しているのではなかろうか。

 バッハ会長は弁護士でもあり、法律学の博士号も取得した法論理的な思考をする人物で知られる。ただ、法の論理では正しくても、社会的な常識とはかけ離れている場合もある。これがいま、IOCやバッハ会長への不信感となって現れているのではなかろうか。「オリンピックと政治」の問題は避けて通れない。本稿ではこれまでの発言から、バッハ会長の「オリンピックと政治」についての認識について述べていきたい。

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「平和でよりよい世界の実現に貢献する」五輪の理念

 近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタン男爵が抱いた思想はその後のIOCの運営に色濃く反映されていることはいうまでもない。クーベルタン氏のオリンピック理念とは「文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解しあうことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」ことである。

 これをもとにオリンピック憲章が制定された。そこではこう、謳われている。「オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」。

 これらをオリンピックの理念と存在意義だとすると、IOCはこれをどのように解釈し、オリンピックをどう運営しているのだろうか。そのカギとなるのが

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