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ウクライナより愛をこめて③ 「ウクライナの清志郎」に聞いた

[3月2日~3月5日]空襲警報、ヴァカルチューク、ルーマニア国境の検問ゲート……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

3月2日(水) 何という一日だろうか。チェルニフツィで朝10時半に空襲警報が発令され、僕らはまたあのシェルターに避難させられる。朝の時間帯の警報は初めてだ。シェルターに来た人々の表情をみると疲れ切っている。

 そんななかでKが「壁をみてください」と言ってきた。最初はよくわからなかったが、何とシェルターの壁に「日の丸」の絵が描かれていた。チョークで誰かが描いたのだろうが、最初は子どもたちかと思ったら、退避するときに実際に描いた男性が話しかけてきた。40歳くらいか。報道してくれてありがとう、と。

避難シェルターに集う人々拡大避難シェルターに集う人々=撮影・筆者
壁に描かれた日の丸拡大壁に描かれた日の丸=撮影・筆者

 警報はおよそ20分で解除された。キエフにとどまり続け、脱出のためキエフからの列車に乗ったTBS・NYの取材チームが9時間の道のりを経て、西部の町リビウに無事到着したということだ。よかった。

 今日は是非とも取材してみたかった人物に、オンラインでインタビューを試みる。ウクライナの国民的人気ロックバンド「オケアン・エリズィ」のリーダー、スヴャトスラウ・ヴァカルチュークさんに話を聞くのだ。僕は勝手に「ウクライナの清志郎」と命名しているけれど、Kは「ウクライナのサザン」とかわけのわからないことを言っている。

 彼は今回のロシアによるウクライナ侵攻後、すぐにキエフの街頭に飛び出して人々に抵抗を呼びかけていた。以降、国内を移動し続け、きのうは激しい攻撃を受けたハリコフにいた。ミュージシャンであるとともに、一人のアクティビストでもある。

 彼は1994年にオケアン・エリズィを立ち上げ、数々のコンサートを経て、ロシアやベラルーシにも大変な数のファンをもっている。ロンドンやベルリン、パリ、NYでの世界ツアーも果たしてきた。ウクライナ国内では1回のコンサートの観客7万人という記録をもつ。国連の親善大使、ウクライナ公式文化大使も務めた。本人はリビウ大学で物理学を専攻していたインテリだ。

 彼の音楽は多くのウクライナ人に圧倒的に支持されている。2004年のオレンジ革命(ウクライナ大統領選挙の結果に対しての抗議運動)を支持し、2014年のキエフ独立広場での反ヤヌコーヴィチ政権抗議デモ(いわゆるユーロ・マイダン革命)の参加者の前でも歌った。ロシアのクリミア併合に抗議し、以降ロシアでのコンサートを取りやめた。 

 本当に彼に話を聞くことができるかどうか不安だったが、何とできた! 聞きたいことは山ほどあったが、彼を長時間引き留めておくことは危険だ。現に今の居場所は明かせないと言っていた。ハリコフの被害状況をみてきたばかりだった。そのインタビューをごく一部だが記しておこう──。

ヴァカルチュークさんにオンラインでインタビュー 撮影:岸将之拡大スヴャトスラウ・ヴァカルチュークさんにオンラインでインタビュー=撮影・岸将之

ヴァカルチューク ロシア軍は初日に、ウクライナの大都市を爆撃しました。彼らが言っているように、戦略的に大事な軍事施設ばかりではありません。都市にとっての重要インフラも、何でもない他の場所も爆撃しました。それで女性や子どもも含め、大勢の死傷者が出ています。15人から20人ほどの子どもたちが被害に遭いました。ひどい状況で、理性的に話をすることさえできません。心と頭脳がずたずたにされる思いです。

金平 あなたの音楽は大好きですが、こんな危機の中でのアーティストの役割とは何なのでしょうか? あなたは音楽で世界が変えられると思いますか?

ヴァカルチューク 音楽はすでに世界を変えてきました。覚えておられるでしょうが、ソ連が崩壊したときも、それはテレビ局やロックなどが一役買っています。60年代、70年代にビートルズやローリング・ストーンズなどのバンドがいなければ、ソ連の崩壊はずっと遅れていたはずだと思うからです。音楽や精神的なものは、人々の心に浸透します。人々の意識をはるかに深く変えていきます。

金平 実は私自身、1991年にソ連が崩壊した時に、モスクワの特派員としてその出来事を取材していました。友人にはモスクワのミュージシャンたちもいました。当時抵抗していたのは彼らでした。彼らが保守派のクーデターに対して抵抗した。

ヴァカルチューク しかし、もはやそうなっていないですよね。

金平 はい、もはやそうなっていないのはわかっていますが、ロシアやベラルーシで何かが起きてほしいとも思っています。近い将来そういうことが起きるという希望はありますか?

ヴァカルチューク はい。まず何よりも、ロシアとベラルーシの人々には、大勢で街頭に出てきてほしいと思います。心ある人たちはいるはずだという希望がなおもあるし、いつかは、警察に殴られるかもしれないという恐怖が、悪い人間になることへの恐怖にとって替わられていくと思うからです。そして彼らこそがこの事態を止める。

 実は、我々には何もできないんですよ。僕は兵士ではないし、銃を撃ってはいないと言うことはできるかもしれませんが、それは沈黙へとつながります。この痛みに加担していることになってしまう。神道や仏教など日本の文化や宗教にこんな考え方があるのかどうかは知りませんが、キリスト教やユダヤ教では、何かをするよりも大きな罪は、冷淡、無関心でいること、中途半端でいることだという考え方があります。

 だからロシアの人々には、ウクライナの軍やレジスタンスよりも、また欧米の支援よりも、自らの未来を変えるのは、何より自分たちロシア人にかかっているんだということをわかってもらいたい。この先、どんな独裁者にも人生を台無しにされまい、とね。

金平 最後の質問です。ロシアの侵攻が始まった直後に、あなたは街頭を走り回って、人々に「侵略に抗議しよう」と訴えたことに衝撃を受けました。あの時、あなたはどんな思いでしたか?

ヴァカルチューク そうですねえ。我々はみんなが何らかの危惧を抱いていました。死ぬかもしれない、けがをするかもしれない。人生が台無しにされるかもしれないので、戦争が怖いのは当然です。しかしここは我々の国土です。我々の国土なので強い意志を持っている限り降伏はしない。失うものは何もありません。国土を失ってしまえば何もなくなります。つまり、すべてかゼロか、です。そして我々はすべてを望みます。

金平 わかりました。私は世界中の人々が連帯することを信じています。

ヴァカルチューク どうもありがとうございます。日本の皆さんにひとこと言わせてください。まず、第一に、僕は日本文化の大ファンです。皆さんの心、皆さんの人柄、皆さんの習慣、全てです。日本の大きな都市に行ったことがあるし、できるだけ早期にまた訪問するつもりです。そして第二に、我々は戦争で勝ったらその後どうするのかという話をよくします。いろんなものが破壊された後ですね。私なら、日本は戦後、完全に破壊されていたが、彼ら日本人の気概は高く、一世代で国を再建したと言います。我々にはいい模範があるんです。

金平 本当にありがとう。

 久々にインタビューをし終わってから充実感を覚えた。こういう素晴らしいミュージシャンがいる。彼はこの後も国内を移動し続けるのだろう。彼はけっして、よくありがちな、にわか愛国者みたいな歌い手ではないし、音楽を愛する一人の人間だ。自由と権利が蹂躙された時に、ひとはどのような態度をとるのか。そういう問いを投げかけられたように思った。だから、僕にとってはやっぱり「ウクライナの清志郎」だ。

 宿舎のレストランで早めの夕食をとったら、レストランの支配人みたいなおじさんが、えらく歓待してくれて、店の奥からサマゴン(密造酒のウオッカ)を出してきて、僕らに出してくれた。これが効いた。まいった。水をガンガン飲んだ。いい気持ちになっていたところに、20時37分、今日2回目の警報が発令され、僕らはまたシェルターへ。まいった。

 チョークがシェルターに置かれていて、子どもたちが壁に絵を描き出している。「ウクライーナ、ウクライーナ」と口ずさみながら、国旗のカラーの青と黄のチョークで何かを描いている。そして、何と戦車の絵を描き出した。驚いた。この戦車は何を象徴しているのか。かなり昔、フリーランスの遠藤正雄さんと共に訪れたアフガニスタンの戦争孤児たちのシェルターを取材した際に、そこの子どもたちが描いていた絵に、飛行機、おそらく爆撃機があったのをみて衝撃を受けたことを何故か思い出した。

シェルターに避難した人々拡大シェルターに避難した人々=撮影・筆者
子どもたちが壁に絵を描き出して拡大子どもたちがシェルターの壁に絵を描き出した=撮影・筆者

こどもたちが描いた戦車拡大子どもたちが描いた戦車=撮影・筆者
 21時30分に警報解除。やれやれ、だ。

 国連総会の緊急特別会合で、ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議が賛成多数で採択された。賛成は193カ国中、141カ国。反対はベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、ロシア、シリアの5カ国、棄権は中国やインドなど35カ国だったという。ある種わかりやすい数字だ。

 21時47分、コーディネーターのオルガからキエフ駅の庁舎ビルが爆破されたとの情報。ということは、TBS・NYのチームはギリギリの段階でキエフ発の列車に乗り込んだことになる。

 部屋に引き上げて、眠っていたら、なんと真夜中の26時(つまり午前2時)に再び警報発令。まいった。急いで着替えてシェルターに向かう。こんな真夜中に。警報音がより鮮明に聞こえる。さすがにまいった。からだもだが、精神的に痛めつけられる。避難先のシェルターではさすがに皆黙りこくっていた。警報が解除されて宿舎に戻る途中に空を見上げると、星が本当に綺麗に満天に輝いていた。

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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七つ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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