「地域医療は患者さんや家族が高齢であるという特性に対応しなければなりません」
2022年03月10日
埼玉県ふじみ野市で起こった医師殺害事件は、訪問診療のあり方や、患者と医師の関係をあらためて考えさせるものだった。
終末期医療を担う地域医療──。年々、在宅医療や看護、介護の利用者が増えているのは、それだけ「自宅で最期を」「体の自由が利かなくなっても、自宅で過ごしたい」というニーズが高まっているに他ならない。
今回の事件で明らかになったのは、「医療従事者が自宅を訪問するリスク」だ。それについては前稿「ふじみ野・医師殺害事件と訪問診療の暴力(上)──三木明子教授に聞く」を参照していただきたいが、続いて、事件発生後、早々にこの問題についてツイッターで発信した精神科医の香山リカ氏に聞いた。
「精神医療の場合、基本的には決められた日に外来に来ていただき、面談する。そういった“枠組み”を非常に大事にしていて、精神科医はそれを繰り返しトレーニングしています。その枠組みが崩れると、患者さんとの距離が近くなって依存的、感情的になってしまったりするだけでなく、治療効果も上がりにくいのです」
そうした経験を踏まえ、医療や看護、介護の技術面だけでなく、その周辺にあるもろもろの、訪問する際に気を付けるべきこと、踏み越えてはいけないことのルール作りが必要になってくるのではないかという。
「患者さんからしても、生活しながら医療を受けることはQOL(生活の質)を保つという意味でも大事です。しかし、在宅医療でその“枠組み”が取り払われてしまうことのデメリットも考えなければなりません」
さらに今回の事件には“60代の子どもと90代の親をめぐる問題”もある。
精神科医療の課題などについて、SNSで発信を続ける香山氏は、事件後すぐに自身のツイッターで「診察室にもときどき『高齢の親が亡くなった悲しみから立ち直れない60代以上の“子ども”』が訪れます」とつづった。すると、「親が長生きしたほうが一緒にいた時間が長いから、悲しみが大きい」といったリプライなどがあったという。
「昔は、90代で亡くなったら『寿命を全うした』『大往生だね』と受け止められました。今も90代であれば平均寿命は超えているわけですから、そう思ってもいいはずなのですが、最近は60代の子どもが『死なないで欲しかった』『なんで死んでしまったんだ』と、長く悲しむケースをよくみます。これが昔とはかなり違ってきているところで、親が100歳で亡くなっても、おそらく同じことでしょう」
しかも、こうした密な親子関係は、自宅にひきこもる50代の子どもを80代の親が支える「8050問題」といわれる構図、経済的な依存状態も一因にあるといわれている。だが、香山氏はそうした問題の有無にかかわらず、経済的には恵まれている(ようにみえる)親子であっても起こっている現象だと感じている。
「50代、60代になっても明らかに親に甘えている人には、高齢の親が亡くなられたときに、『大往生だったね』と言っても通じません」
もちろん、大切な人が亡くなれば誰でも悲嘆にくれる。「もういい歳だったから、がまんしなければいけない」というものではない。専門的な支援がいるかどうかは別として、こうした深い悲しみから立ち直るためには、ある程度の時間の経過や周囲の関わりが必要になる。そういう点では、悲しみを分かち合えるような相手がいない、孤立や孤独といった問題もあるかもしれない。
しかし、(高齢の)親が亡くなったという事実をいつまでも受け入れられず、
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