メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

ふじみ野・医師殺害事件と訪問診療の暴力(下)──香山リカ氏に聞く

「地域医療は患者さんや家族が高齢であるという特性に対応しなければなりません」

鈴木理香子 フリーライター

親の死に対する悲しみが怒りや憤りに変わると……

UncleFredDesign/Shutterstock.com拡大UncleFredDesign/Shutterstock.com

 さらに今回の事件には“60代の子どもと90代の親をめぐる問題”もある。

 精神科医療の課題などについて、SNSで発信を続ける香山氏は、事件後すぐに自身のツイッターで「診察室にもときどき『高齢の親が亡くなった悲しみから立ち直れない60代以上の“子ども”』が訪れます」とつづった。すると、「親が長生きしたほうが一緒にいた時間が長いから、悲しみが大きい」といったリプライなどがあったという。

 「昔は、90代で亡くなったら『寿命を全うした』『大往生だね』と受け止められました。今も90代であれば平均寿命は超えているわけですから、そう思ってもいいはずなのですが、最近は60代の子どもが『死なないで欲しかった』『なんで死んでしまったんだ』と、長く悲しむケースをよくみます。これが昔とはかなり違ってきているところで、親が100歳で亡くなっても、おそらく同じことでしょう」

 しかも、こうした密な親子関係は、自宅にひきこもる50代の子どもを80代の親が支える「8050問題」といわれる構図、経済的な依存状態も一因にあるといわれている。だが、香山氏はそうした問題の有無にかかわらず、経済的には恵まれている(ようにみえる)親子であっても起こっている現象だと感じている。

 「50代、60代になっても明らかに親に甘えている人には、高齢の親が亡くなられたときに、『大往生だったね』と言っても通じません」

 もちろん、大切な人が亡くなれば誰でも悲嘆にくれる。「もういい歳だったから、がまんしなければいけない」というものではない。専門的な支援がいるかどうかは別として、こうした深い悲しみから立ち直るためには、ある程度の時間の経過や周囲の関わりが必要になる。そういう点では、悲しみを分かち合えるような相手がいない、孤立や孤独といった問題もあるかもしれない。

 しかし、(高齢の)親が亡くなったという事実をいつまでも受け入れられず、

・・・ログインして読む
(残り:約861文字/本文:約2621文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

鈴木理香子

鈴木理香子(すずき・りかこ) フリーライター

TVの番組製作会社勤務などを経て、フリーに。現在は、看護師向けの専門雑誌や企業の健康・医療情報サイトなどを中心に、健康・医療・福祉にかかわる記事を執筆

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです