教科書に「精神疾患」の記述復活 国家による犯罪を繰り返すのか~反省なき精神衛生教育【上】
国が進めた優生政策。医療・教育・マスコミは、その差別と非人道的行為の動輪となった
野田正彰 精神病理学者・作家

「狂人に刃もの」という見出しで精神病院などでの事件を伝える1973年2月20日付の新聞記事
医療・教育・マスコミが優生保護法推進、「国民の常識」に
優生保護法の根底にあったものは、精神病者とは未だ犯罪を犯していない人、いつか傷害事件を犯す予備軍であり、且つ家族と国家にとって経済的に負担になる者という思想だった。
この思想は医療においては優生手術の強制実施であり、国民への啓蒙としては優生保護の教育とマスコミによる「変質者を排除せよ」、「狂人に刃もの」といった宣伝の繰り返しであった。
医療と教育・マスコミは動輪として、優生保護法を推進していた。

滋賀県が開示した優生保護審査会の資料。手術を繰り返し拒否する親を県などが執拗に説得した経緯が記されている。「保護義務者の無知と盲愛のため拒絶」などとある
論文「偏見に加担する教科書と法」を発表
私は精神科医になって5年、精神医療の悲惨と精神医学のドグマを法律で支えているものとして、精神衛生法と優生保護法を問題と考察した。

優生保護法をめぐり、筆者が学校教科書を批判した論考の第2弾「偏見改まらぬ教科書―再び精神科医の立場から」(『朝日ジャーナル』1974年9月20日号)
前者については「管理社会と精神医療」(『精神医療』第2巻2号[1971年]、後に『国家と凶器』田原書店[1972年]に所収)と題する論文を書き(本稿では触れない)、後者については、遺伝性の根拠を問い直しながら、優生保護法の宣伝文書になっている教科書の批判を二つの論稿として書いた。
「偏見に加担する教科書と法――精神科医は訴える」(『朝日ジャーナル』1973年2月16日、15巻6号)、翌年つづいて「偏見改まらぬ教科書――再び精神科医の立場から」(同、74年9月20日、16巻38号)である。当時の朝日ジャーナル編集部は問題の重さをよく理解し、長文の論文を2回そのまま掲載してくれた。
学校教科書が「悪質な遺伝病の根絶」力説、侮辱的記述の連続
当時の教科書は精神疾患や精神薄弱(知的障害)を「悪質な遺伝」と断定し、「優性的処置を行う必要がある」と記述するものが多かった。その執筆者や監修者には精神科教授が名を連ねていた。医学生が読んでいた精神医学教科書と、中学・高等学校での保健の教科書とはそのまま結びついていたのであった。
私の論文は出版されていたすべての教科書15冊を検討したものである。一例、小沼十寸穂・広島大精神科教授ら8人による教科書『高校保健体育』(開隆堂出版)、を見てみよう。

精神疾患についての記述がある1950~70年代の高校保健体育の教科書
「分裂病・躁うつ病などの悪質な遺伝病の根絶」を力説し、生徒の研究課題として「精神病者の反社会的行動を新聞によって調べよ」と結んでいる。精神病質は遺伝的な素質がおもに関係すると書き、精神薄弱の原因にまず遺伝を述べ、「簡単な作業などによって一応の社会生活をすることができるが、一人まえでない」と侮辱的な記述が続いている。
これが70年代までの日本の精神医学者の基本思想だった。
この様な思想の教授が医学生を講義する。精神医学を専攻した医師は上記の思想をもって大学病院や精神病院に勤める。他の臨床科目を選んだ医師は上記の思想を生涯再考することなく、看護学校などで講義していった。
こうして国民の常識になっていったのである。

1966年、兵庫県は優生保護法のもと、「不幸な子どもの生まれない運動」を全国に先駆けて開始し、強制不妊手術を施策として推進した。写真は、県が作成した「不幸な子どもの生まれない施策」推進のためのパンフレット