2022年03月23日
英語で「象が部屋にいる」という言い回しがある。
どういうことかというと、「あんなにも大きな象が部屋にいたとしても、あえて見なかったことにする」という意味である。誰もが知っていることだとしても、なかったことにしたほうがいい。そういうことは確かに世のなかにはあるかもしれない。
プーチンが、「ウクライナを非ナチ化する」と宣言したとき、大方の人々は狐につままれたような反応で、そのうち識者や国際政治学者はこぞってプロパガンダであると断定しだした。だが、本当にそうなのだろうか。
アメリカの政治専門紙である「ザ・ヒル」は、2017年に、「ウクライナの極右の存在は決してクレムリンのプロパガンダではない」と題された記事で、こう警告している。
「西側の識者は、ウクライナにネオナチ集団は存在せず、モスクワが描いたプロパガンダの主張にすぎないという。しかし、これは悲しいことに間違いである」(注1)
そして、ニューヨークタイムズ、ガーディアン、BBC、テレグラフ、ロイターなどの、ウクライナの極右(ネオナチ)事情についての記事をとりあげている。(注2)
欧州の極右事情やウクライナ情勢に詳しい人ならば、この数年でウクライナの極右・ネオナチの存在が問題化していたことは常識のレベルの話である。
「これはロシアのプロパガンダではありません」とザ・ヒル紙は続ける。
その「ネオナチ」とされるグループとして、ザ・ヒルは「アゾフ大隊」(のちに「アゾフ連隊」)をあげ、これまでのその悪行を列挙する。アゾフ大隊は、2014年のウクライナの騒乱「ユーロマイダン」で頭角をあらわし、この流れで東部紛争で民兵となり、その武勇と悪名を同時に世界に発信した集団だ。そしてこのアゾフは現在、ウクライナ軍の中核的存在にまでなっていることも、よく知られていることである。
このザ・ヒルの記事では、国際連合人権高等弁務官事務所とヒューマン・ライツ・ウォッチが、東部紛争でアゾフによる一般市民の拉致・監禁、拷問などの事実の告発と批判を取り上げている。(注3)
ユダヤ系の人権団体サイモン・ヴィーゼルセンターの記事も紹介している。アメリカとカナダが、ウクライナの兵士を訓練しているが、それが明らかにネオナチだというレポート。そのウクライナ兵というのはアゾフのことだ。(注4)
そのアゾフ兵は、白人至上主義者のタトゥーをいれ、エンブレムはナチスのトーテムコップ(髑髏マーク)があしらわれている。
ウクライナの極右・ネオナチグループは、アゾフだけではない。「C14」というグループは、青年スポーツ省から資金供与されて「愛国教育プロジェクト」を主催しており、そのなかで子供たちの教育訓練キャンプを行っていた。アゾフとともに退役軍人省が主催する審議会のメンバーでもある。このC14は米国務省からテロ組織と指定されている極右組織である。彼らは警察と協力してキエフの自警組織もつくっている。なお、このグループの名称の「14」というのはネオナチや白人至上主義者の有名な暗語である(後述)。(注5)
彼らはこれまで数々の治安犯罪を犯してきたが、それでも国や地方行政と癒着し、公然と活動してきた。極めつけだったのは、この団体をネオナチと呼んで批判したジャーナリストが訴えられ、それが有罪となったことである。ベリングキャットはこれについて「ウクライナの裁判所がネオナチをネオナチと呼ぶことを禁じた」と皮肉をこめて伝えている。この件では、司法とネオナチグループとの癒着が強く疑われている。(注6)
このように議会や行政、さらには司法までも癒着し、東部紛争を通じて強い関係をもった極右グループ、その多くは極右・ネオナチと称されている集団は、C14やアゾフに限らない。「右派セクター」「エイダーバタリオン」等々。東部紛争で民兵化したグループだけでもおおよそ40ぐらいとも言われている。
このように、ウクライナのネオナチの存在は、別にロシアだけがとりあげて警告してきたことではないのだ。むしろ西側のメディアもずっと取り上げ続けてきた。
ロイターの2018年の記事では「ウクライナのネオナチ問題」という記事のなかで、ウクライナのネオナチについてウクライナ人がとがめるどころか称賛しており、このため「長期的にウクライナを危険にさらす」とも指摘し、さらに一般人の志願者を軍事訓練するなどして勢力を拡大していることを報じている。(注7)
日本ではメディアに取り上げられることはほとんどなかったが、なんと公安調査庁がこの存在を取り上げている。公安調査庁の2021年度版の「国際テロリズム要覧2021」に、「極右過激主義者の脅威の高まりと国際的なつながり」と題したレポートがある。
「2014年,ウクライナの親ロシア派武装勢力が,東部・ドンバスの占領を開始したことを受け,「ウクライナの愛国者」を自称するネオナチ組織が「アゾフ大隊」なる部隊を結成した。同部隊は,欧米出身者を中心に白人至上主義やネオナチ思想を有する外国人戦闘員を勧誘したとされ,同部隊を含めウクライナ紛争に参加した欧米出身者は約2,000人とされる」(注8)
※「論座」では、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する記事を特集「ウクライナ侵攻」にまとめています。ぜひ、お読みください。
それでもこう考える人はいるだろう。欧州の極右やネオナチの話などよくあることじゃないか。極右やネオナチがいないところなんてないじゃないか。それを取り上げるのはロシアの言い分を肯定してしまうことになってしまうだけではないか。このような反応は日本だけの話ではない。
アメリカでもっとも著名なユダヤ系のニュースメディアである「フォーワード」紙で、調査報道で知られるベリングキャットのスタッフでライターのマイケル・コルボーンも、こうこぼしている。(注9)
ウクライナの極右はたいした問題ではないと数えきれないくらいに言われてきました。
「すべてクレムリンのプロパガンダですよ。その話をすることは、プーチンをアシストすることです。他の国にも極右の問題があるじゃないですか。なぜウクライナだけをとりあげるのですか?」
私はそう言われてきました。
しかしウクライナには極右の問題があり、それはクレムリンのプロパガンダではありません。
こうしてウクライナの極右(ネオナチ)の問題が、単にロシアのプロパガンダとみなされてしまっている。しかし、これが他の国の極右やネオナチの事情とかなり違ったクリティカルな状況だということは、強調しておくべき話なのだ。
これを先に概略として記しておくと、次のようになる。
・ウクライナでは極右・ネオナチと呼ばれる勢力が政権や行政や司法に関与していること。
・その極右勢力が軍事化したのみならず、国軍勢力の中核におり、「世界で唯一ネオナチの民兵が正式に軍隊になった」国であること。
・その様々なセクトが一般人への軍事訓練などを続けながら勢力をウクライナの政治から文化まで拡大しつつあったこと。
・彼らは民主主義的な価値観を肯定しておらず、さらに政権のコントロールを必ずしも受け入れておらず、将来的に民主主義への敵対勢力となる可能性があること。
・世界の極右やネオナチのハブ的存在になっており、ISのように世界的にネットワークを広げて、コントロール不能になることすら考えられること。
・またウクライナの過去のナチス協力をめぐる「歴史修正主義」がウクライナを席巻しており、すでにイスラエルをはじめ、関係する国々から強く批判されていたこと。
アメリカがアフガニスタン紛争のときに、現地のイスラム民族主義者であるタリバンに資金援助して共闘してきたことはよく知られている。ところが、アフガニスタンから当時のソビエト連邦軍が撤退すると、やがてその牙はアメリカに向けられるようになった。皮肉な失敗として知られるこのエピソードを私は思い出さずにはいられない。
もちろん、今はそれを「部屋に象がいる」と、見て見ぬふりをしておくべき時なのかもしれない。このウクライナ戦争がどのような結果になるかは今はわからないからだ。
だが、ウクライナが、欧米の国々のように単にネオナチ思想をもつものが軍隊にいるとか、極右政党が議会に勢力を確保しているというようなレベルではなく、黄色信号を超えた危険水域に達していることを今のうち理解しておくのは悪いことではないはずだ。
以下、このウクライナのネオナチとそれがどのように社会に根をはってしまっているかについて詳述していく。
なお、この論考がプーチンの侵略戦争を支持したり、正当化する目的で書かれていないことも明記しておく。
ウクライナに極右・ネオナチ問題が深刻であったとしても、それを解決するのはただウクライナ国民である。
ウクライナに深刻すぎる極右・ネオナチ問題があるというのはプロパガンダではない。しかし、それを侵略戦争の理由とするのはプロパガンダであるということだ。
以下、本文中の引用や参照先はすべて西側のメディアである。
ウクライナの専門家でもない筆者が、なぜウクライナの極右やネオナチ事情について書いているかというところから始めよう。
筆者がウクライナのネオナチまたは極右と呼ばれる存在を知ったのは、実は政治とは関係ない。2012年のサッカーの欧州選手権がきっかけである。
ことによってはワールドカップよりも人気があるといわれるのが、ヨーロッパのナショナルチームによって争われる欧州選手権だ。その大会が、2012年には、ウクライナとポーランドの共催となった。しかしこれが問題になった。両国が、この華々しい大会にふさわしいのかどうかと疑義が各所からよせられたのだ。理由は差別問題とネオナチだ。
以下、拙著『サッカーと愛国』(イーストプレス2016)から引用する。(注10)
ガブリエル・クーン(著述家。世界のサッカーサポーター事情とレイシズム問題に詳しい)はオーストリアの生まれであり、特に中欧や東欧のサッカー事情に詳しい。この地域でのサッカーにおけるレイシズムや排外主義の話を聞いてみようとするが、ガブリエルはあまり良い顔をしない。こちらはどうやら反ユダヤ問題が大きいらしいのだ。
(中略)
「東欧ではサッカースタジアムにレイシズムが跋扈している。ウクライナ、ポーランドは特にひどい」とガブリエルは苦い表情で言う。
2012年の欧州選手権は、ウクライナとポーランドの共同開催だった。だが、この大会ははじめから西欧各国で懸念されていた大会でもあった。元イングランド代表でキャプテンマークを巻いたこともあるDFソル・キャンベルは、BBCのインタビューで、黒人やアジア人のイングランドサポーターに対して「死の危険にさらされるだろう」と言い、両国での観戦に対して「行くべきではない」と強く警告した。もちろん理由は激しい人種差別である。BBCは、動かぬ証拠として、観客がナチスの敬礼をし、黒人選手にはモンキーチャント(黒人選手を揶揄するサルの鳴き声のマネ)を浴びせ、白人優位主義の印であるケルト十字のマークをマフラーに入れ、反ユダヤのチャントを高らかに歌うサポーターの姿を放送した。そして極めつけは、アジア人サポーターが襲われている姿が記録された映像だ。(注11)
この時、筆者がガブリエル・クーンに「日本人である私も危険か」と聞くと、ひとこと、「おすすめできない」と語っていたのを鮮明に記憶している。
「レイシストのシンボルと反ユダヤの応援歌は、ウクライナのサッカーシーンの一部である」と、このBBCの番組はリポートする。しかしそれだけではない。
サッカーの熱狂的なサポーター集団は「ウルトラス」という通称で呼ばれる。BBCだけではなくイギリスのスカイスポーツも、ウクライナの「ウルトラス」に密着取材を試み、外国人排斥をあからさまに語った現場を放送している。差別主義をひけらかすそのサポーターたちは、セルティックのアジア人サポーターやトッテナム(ユダヤ人サポーターが多いとされている)に、差別発言を続け、極めつけに「シュー」という擬音を発している姿を放送した。これはナチスのガス室
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