再来襲した「黒船」ニューズ社が日本のマスメデイアを席巻する?〈連載第2回〉
WSJを発行するダウ・ジョーンズの出版ビジネス売上は朝日新聞社の25倍
小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長
WSJ日本版の競争強度を規定する要因―IT革命と経済のグローバル化
国内報道メディア業界でのWSJ日本版の競争強度を決定する主因は情報通信技術(IT)革命と経済のグローバル化である。20世紀終盤に始まったIT革命はインターネットとパソコンの登場と急速な発展を促し、これが情報通信産業に属する報道メディア業界にグローバルかつ厖大な影響を及ぼした。
1990年代までグローバル経済・金融情報分野では英国のロイターと米国のダウ・ジョーンズが寡占市場を形成していた。この市場にIT革命が襲った。その先兵が1982年創業のブルームバーグだった。IT技術とビッグデータを駆使し、顧客志向を徹底させた機能を持つ金融情報端末を武器にブルームバーグはグローバル経済・金融情報市場に参入し、瞬く間に席巻した。いまでいうゲーム・チェンジャーだったのである。
ブルームバーグは間髪を入れずにサプライ・チェーン戦略の一つとして、報道メディア業界にも参入した。1987年に東京オフィスを構え、1990年にニューヨークを基点にニュース部門の立ち上げ、1994年には24時間放送の「ブルームバーグ・テレビジョン」を開始、そして1997年には日本記者クラブの会員となった。ブルームバーグが日本の記者クラブ開放の先鞭を付けたといえる(小田, 2021;ブルームバーグ, 2022)。ここで注視すべきが、この展開速度である。ニュース部門立ち上げから日本の記者クラブ制度に風穴を開けるまでの間、わずか10年あまりであった。
ブルームバーグはその後、2010年には米国出版大手のマグロウヒルから有力経済誌『ビジネス・ウィーク』を買収した。これは世界140カ国以上4700万以上の購読者を持つ。ニュース部門は2022年現在、約2700人の記者を抱え世界120ヶ国の支局を拠点に取材報道活動をしている。また、ブルームバーグ・テレビジョンは世界70カ国で約4億5千万人の視聴者を擁する。
ブルームバーグ参入以前、グローバル経済金融情報市場は寡占市場だった。この市場では超過利潤を生み出しやすい構図があり、寡占企業は少ない競合相手のみに照準を当てたゲーム理論的な競争環境になる。このため外部環境の変化に対して必ずしも感応的とはいえず、保守的な経営戦略を採りがちになる。

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ブルームバーグは急成長し、難攻不落といわれたロイターの牙城であるこの市場の業界最大手に上り詰めた。一方、IT対応と顧客志向に乗り遅れたロイターとダウ・ジョーンズの収益性が急速に悪化し、大規模なリストラとM&A(企業の合併・買収)を迫られた。ロイターはかつての大英帝国の情報網を支えた。1851年創業のこの伝統的な報道メディアが2008年、カナダの大手情報サービス業のトムソンに約87億ポンド(約2兆円)で買収された。このトムソンやカナダ国内大手紙、グローブ・アンド・メールはカナダの持ち株会社ウッドブリッジの傘下にある(Thomson Reuters Japan, 2009; Thomson Reuters, 2020; Reuters News Agency,2022; Bloomberg,2022)。
一方のダウ・ジョーンズは解体というほどの憂き目に遭った。ダウ・ジョーンズもまた1882年にニューヨークで創立された米国の伝統的な報道メディアである。1889年、ニューヨーク証券取引所があるウォール・ストリート街の金融関係者向けに創刊したのが「ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ )」である。また、1896年にはニューヨーク証券取引所の株価指数となる「ダウ・ジョーンズ工業平均株価(ダウ平均株価)」を創設した。
米国が世界経済の覇権を握る過程でダウ・ジョーンズ、その傘下のWSTや金融誌バロンズの業績が急速に伸長したが、グローバル経済金融情報市場の寡占化が進むにつれて社風が保守化した。そして2007年、報道メディアのM&Aで世界的な地位を築いたニューズに買収され、スクラップ・アンド・ビルドが進んだ。インデックス算出事業の売却というスクラップが決行される一方、ビルトの一つとしてWSJ日本版が創刊されたのである(Dow Jones, 2022)。
ある市場での競争が激化し、業界全体の平均的な収益率が低下する場合、競合相手のいない未開発なブルーオーシャンを求めて海外市場に進出する企業もある。海外の報道メディア業界の構造変化の影響が、国内報道メディア業界に波及する。WSJ日本版はこの一例といえよう。