珍奇な差別思想を「常識」にした法と教科書。国と医学界は公的謝罪を
2022年03月23日
4月から高等学校「保健体育」の教科書が改訂され、「精神疾患」の記述が40年ぶりに復活する。私は、かつて、精神医療が侵してきた過ちを世に問い、精神疾患や精神薄弱などの酷い記述を修正した40年前の教科書改正の動きを作った精神科医として、無反省に進む今般の動きを危惧し、本連載を執筆した。
保健教科書は70年代まで、優生保護法を支え、差別と優生手術を宣伝した。優生政策という国家による犯罪を、医療・教育・マスコミが動輪となってすすめ、「国民の常識」がつくられたのである。医学界は何ら反省せず、40年の沈黙の間にも、数多の病者と家族を苦しめ続けた。優生保護法が廃止されても、その差別の思想は生き続けてきた。
(連載「反省なき精神衛生教育」の【上】はこちら、【下】はこちら)
1970年代になり、優生保護法は忘れられたかのように言われていた。しかし、手術された人にとって、その傷痕は今に至るまで疼き続けている。私は無理やり手術された人の苦しさをしばしば聴いた。
以下の朝日新聞への投書(1976年3月13日大阪本社朝刊「声」掲載)は、滋賀県長浜赤十字病院精神科の外来に通っていた人の思いを、私たちが励まして書いてもらったものである。
平等の保証か差別か
断種手術の通知義務
滋賀県 中川実恵(僧職 47歳)
私は二十二年前に精神分裂病になり、ある私立病院に入院したことがあります。療養生活を送り、その病院の作業員となって認められ、半年間の入院生活を送って退院となりました。
私は入院中に考えた事は、なった病気を悲しむよりも、病気になって入院した事実をみつめ、治った事を喜ばねばならないと思った事です。その考えが私にとって心理的にどのように働いたかは知りません。
だが私にとって落雷の如き驚きをあたえたのは、自分の意思で一カ月母のもとで療養生活を送って職場復帰しようと計画を立てて了解を得、あと十日もすれば復帰という寸前、優生保護法の適用通知がきた事です。
種族維持の本能ともいわれる、私たちの持つ思いの中では、それは死の衝撃にもあたいする事でした。優生保護法のきびしさは「優生手術を受けた者は、婚姻しようとするときは、その相手方に対して、優生手術を受けた旨を通知しなければならない」との通知の義務が課せられています。刑法犯では、その刑を果たすことによって罪をあがなったとされています。が、婚姻にあたって、通知の義務があるのでしょうか、ないのでしょうか。
断種手術を受けた苦しみは、義務を果たして結婚しても、夫婦の間では生涯つきまといます。その苦しみを忘れるためには、自分の主観の中で、なった病気をうらむか、それとも試練として考えるよりほかはないでしょうか。
平等の権利が保証された憲法の中において、優生保護法第二六条の通知の義務は、平等の保証なのでしょうか。それとも差別なのでしょうか。あるいは差別即平等といわれる宗教哲学観にも似た思考の中で検討された上で義務づけられたものでしょうか。
(筆者注:この病院は京大系の精神科医が勤めていた私立の水口病院)
だが、寺の後継者も門前の商店街の人びとも、中川住職と妻の消息を知らなかった。
何度か中川夫妻と散歩した寺の境内に人影はなく、「分裂病の多くは良くなるんですよ」と言って、M.ブロイラーの予後の研究などを紹介して夫妻を励ました50年前を思い出し、深い無力感に打たれた。私は何も出来なかった、夫妻はどんな思いで去っていったことか。
強制手術された人だけでなく、今も優生保護法の思想は「呪い」となって生き続けている。
表の下部にある「注意」には、「遺伝病にかかった者の外自殺者、行方不明者、犯罪者、酒乱者等についても記入し、病名欄には、その病名(病名不明の者及び自殺者、行方不明者等についてはその事実)を記入し、……」と書かれていた。
ここには、C.ロンブローゾ(1862~1909年の間、イタリアの大学で精神医学、犯罪学教授)以来の「生来性犯罪者」の学説が色濃く流れている。自殺者、行方不明者は隔世遺伝によって精神病者につながっていくという、珍奇な差別の思想である。
私は親が自殺した遺族から、自分も齢を重ね親の年齢になると自殺するのではないか、という不安を聴くことが何度かあった。人が死を選ぶのは様々な条件の重なりであって、生物学的に決められているものでは絶対にない、と説明してきた。説得しながらも、優生保護法と保健教科書を通して国民の「常識」となった珍説を変えるのは、容易でないと感じてきた。圧倒的多数の人びとの「常識」の澱となって、溜まっているからだ。
この「別記様式」を作った人、この申請書を書き込んでいた精神科医たち、そのまま手術決定を出していった各都道府県の優生保護審査会の委員たち(多くは大学や医師会から選ばれた精神科医)は、岡田靖雄医師(元東京都立松沢病院の精神科医)ただ一人を例外として、全ての人が黙ったままである。
日本の精神科医たちの完全沈黙に気詰まりを感じたのか、80年代半ばに医大を卒業した若い女性精神科医が、わざわざあの時代はしかたがなかったと弁解をかって出る新聞論説もあった。この女性は自分が係わってもいない優生手術について、何故弁解する必要があったのか。
あるいは、京都に住む私のところへ熊本日日新聞の記者が、熊本大学の精神科医も地域の精神病院の医師も誰一人として優生手術の取材に応じてくれないと言って、取材に来たりした。
日本精神神経学会、日本医師会あげての黙秘は続いてきた。精神神経学会は国家賠償訴訟が起きて以降も、いかなる反省もしていない。
加害職業団体であるという自覚はまったくない。優生保護法にどのようにかかわったか、検討すると言いながら、訴訟が始まってからすでに4年、会議を開くだけで何もしていない。救済法案が審議される過程でも、何の発言もなく、当事者としての意識はない。
被害者への救済法(2019年4月施行)では、補償金支給が本人申請となったが、これについても学会は意見書を出していない。
2018年からの国家賠償請求訴訟に端を発した調査の中で、大きな成果のひとつは京都府の古い資料のなかから、北海道衛生部・北海道優生保護審査会による『優生手術(強制)千件突破を顧みて』(1956年)が発見されたことである。この16頁の小冊子には、手術された者の85%が精神分裂病(統合失調症)であると明記している。
ところで訴訟を起こしている20人のうち、精神分裂病者は一人もいない。札幌の小島喜久夫さんが同病名で強制手術されているが、彼は分裂病と診断されていただけで、当時もまったく症状はない。強制入院させるため、病名を偽造したものであった。他の原告は知的障害の診断で手術されている。
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