強制手術の苦悩は生涯続き、優生保護法の思想は今も生き続ける~反省なき精神衛生教育【中】
珍奇な差別思想を「常識」にした法と教科書。国と医学界は公的謝罪を
野田正彰 精神病理学者・作家
4月から高等学校「保健体育」の教科書が改訂され、「精神疾患」の記述が40年ぶりに復活する。私は、かつて、精神医療が侵してきた過ちを世に問い、精神疾患や精神薄弱などの酷い記述を修正した40年前の教科書改正の動きを作った精神科医として、無反省に進む今般の動きを危惧し、本連載を執筆した。
保健教科書は70年代まで、優生保護法を支え、差別と優生手術を宣伝した。優生政策という国家による犯罪を、医療・教育・マスコミが動輪となってすすめ、「国民の常識」がつくられたのである。医学界は何ら反省せず、40年の沈黙の間にも、数多の病者と家族を苦しめ続けた。優生保護法が廃止されても、その差別の思想は生き続けてきた。
(連載「反省なき精神衛生教育」の【上】はこちら、【下】はこちら)

不妊手術を強制されたことへの国家賠償請求訴訟の提訴を前に、実名を明かして取材に応じた小島喜久夫さん。57年間、妻にさえ話せず一人で苦しんできた=2018年4月、札幌市
強制不妊手術された僧侶の投書
1970年代になり、優生保護法は忘れられたかのように言われていた。しかし、手術された人にとって、その傷痕は今に至るまで疼き続けている。私は無理やり手術された人の苦しさをしばしば聴いた。
以下の朝日新聞への投書(1976年3月13日大阪本社朝刊「声」掲載)は、滋賀県長浜赤十字病院精神科の外来に通っていた人の思いを、私たちが励まして書いてもらったものである。

強制不妊手術された人の投書(1976年3月13日朝日新聞「声」掲載)
平等の保証か差別か
断種手術の通知義務
滋賀県 中川実恵(僧職 47歳)
私は二十二年前に精神分裂病になり、ある私立病院に入院したことがあります。療養生活を送り、その病院の作業員となって認められ、半年間の入院生活を送って退院となりました。
私は入院中に考えた事は、なった病気を悲しむよりも、病気になって入院した事実をみつめ、治った事を喜ばねばならないと思った事です。その考えが私にとって心理的にどのように働いたかは知りません。
だが私にとって落雷の如き驚きをあたえたのは、自分の意思で一カ月母のもとで療養生活を送って職場復帰しようと計画を立てて了解を得、あと十日もすれば復帰という寸前、優生保護法の適用通知がきた事です。
種族維持の本能ともいわれる、私たちの持つ思いの中では、それは死の衝撃にもあたいする事でした。優生保護法のきびしさは「優生手術を受けた者は、婚姻しようとするときは、その相手方に対して、優生手術を受けた旨を通知しなければならない」との通知の義務が課せられています。刑法犯では、その刑を果たすことによって罪をあがなったとされています。が、婚姻にあたって、通知の義務があるのでしょうか、ないのでしょうか。
断種手術を受けた苦しみは、義務を果たして結婚しても、夫婦の間では生涯つきまといます。その苦しみを忘れるためには、自分の主観の中で、なった病気をうらむか、それとも試練として考えるよりほかはないでしょうか。
平等の権利が保証された憲法の中において、優生保護法第二六条の通知の義務は、平等の保証なのでしょうか。それとも差別なのでしょうか。あるいは差別即平等といわれる宗教哲学観にも似た思考の中で検討された上で義務づけられたものでしょうか。
(筆者注:この病院は京大系の精神科医が勤めていた私立の水口病院)
僧侶の墓前に報告しようと思ったが……

木之本地蔵院(浄信寺)の地蔵菩薩大銅像=滋賀県長浜市木之本町
2018年春、優生保護法による強制不妊手術に対する国家賠償請求訴訟が始まると知らされて、私は亡くなって久しい中川さんの墓に「やっとこんな時代になった」と報告しようと思って、滋賀県湖北、木之本地蔵のある寺を訪ねた。
だが、寺の後継者も門前の商店街の人びとも、中川住職と妻の消息を知らなかった。
何度か中川夫妻と散歩した寺の境内に人影はなく、「分裂病の多くは良くなるんですよ」と言って、M.ブロイラーの予後の研究などを紹介して夫妻を励ました50年前を思い出し、深い無力感に打たれた。私は何も出来なかった、夫妻はどんな思いで去っていったことか。

強制不妊手術を巡る全国初の訴訟の第1回口頭弁論で、横断幕を掲げて仙台地裁に入る原告の弁護士や支援者たち=2018年3月28日、仙台市青葉区