赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター
1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
3月15日、新型コロナワクチンの接種会場となっている東京ドームで一波乱があった。
「ワクチンを打ったら5年以内に死ぬ」などと訴える人が20人ほど入り口に押し寄せ、ワクチン接種に来た人が一時的に入場できなくなったという。東京ドームではこの日からワクチンの予約無し接種をスタートさせており、これに合わせた活動であると思われる。中には「Q」のマークの腕章を付けた人物もいたらしく、アメリカで連邦議会議事堂襲撃事件などを引き起こした「Qアノン」に共鳴するグループによる活動ではないかとみられている。
彼らの活動の是非はここでは置いておこう。
ワクチン陰謀論にハマっている人たちのツイートなどを見て、彼らの主張を調べていると、少し前からよく「和多志」という言葉が出てくるようになった。
読みは「わたし」であり、意味は「私」である。
この言葉を使う人たちが言うには、実は「私」という漢字は、戦後に日本解体を目論んだGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって強制された字であり、戦前は「和多志」という漢字を使っていたというのである。だから日本人が使う元々の言葉として、「和多志」を使っているそうだ。
少なくとも僕は、博物館などに展示されている戦前戦中の人たちが書いた手紙や書簡に「和多志」という文字を見たことはない。また明治の文豪の手書き原稿などたくさんの直筆資料にも「和多志」が「私」の意味で使われていたという記録は、僕が知る限り見たことがない。もちろん「私」という文字を使っている原稿ならある。
「和多志」などという言葉が多少なりとも使われていれば、とっくに文学研究者は気付いているだろうし、国語や社会の教科書にだって「昔は和多志という文字が使われていました」と書かれていてもおかしくはない。だいたい、今の戦前戦中世代の中に「和多志」という言葉を使っていた人がいるのだろうか?
たとえ、ごく少数の人たちが「和多志」を使っていたとしても、GHQが漢字の変更を強制するほど普及していたはずがない。こんな話、調べる必要も無いくらいに分かりやすいデマである。
でも実際にはこれを信じている人も結構いるのだ。なぜだろう。
それは、現在の社会が「つながりの時代」だからであると僕は考えている。
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