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沖縄2022 変わりゆく「台所」と「観光」というまなざし

復帰50年―那覇の市場から①

橋本倫史 ノンフィクションライター

「県民の台所」の賑わい

 前の牧志公設市場が完成したのは、沖縄復帰の年だ。琉球新報は、新しい市場が完成した10月3日の様子をこう報じている。

 市場業者は、開南の仮設市場をたたみ、新装なった第一牧志公設市場に移った。開設式の午後二時ごろには、約四百人の業者が入り口に集まり太鼓を打ち鳴らすなど前祝い。平良市長、比嘉議長、比嘉南洋土建社長の手でテープカットが行なわれるや、ドッと拍手が沸きおこった。このあと平良市長を先頭に店内をひと回り、清潔なショーケースなどすばらしい市場に目をみはっていた。
 市場業者のほとんどが感激のあまりカチャーシーを踊る。「ほんとに十余年もかかってやっと市場ができた。こんなうれしいことはない」と市場業者。(琉球新報、1972年10月4日)

 その日から47年後。

 2019年6月16日、牧志公設市場は一時閉場を迎え、市場の前では盛大なセレモニーが開催された。あの日もまた、市場事業者や建て替えを惜しむ買い物客たちはカチャーシーを踊り、太鼓の音が通りに響き渡っていた。

拡大一時閉場(2019年6月)する前の牧志公設市場の賑わい=筆者撮影
拡大一時閉場(2019年6月)する前の牧志公設市場の賑わい=筆者撮影

拡大一時閉場し、移転のためがらんとした市場の中=2019年、筆者撮影
 自然発生的に生まれた市場界隈は、「まちぐゎー」(市場)と呼ばれ、大勢の買い物客で賑わってきた。公設市場を中心にして小さな商店がひしめき合い、迷路のように路地が張り巡らされている。

 界隈で取材を続けていると、「昔はまっすぐ歩けないほど賑わっていた」という思い出を聞くことが多々ある。今のようにスーパーマーケットがなかった時代には、愛称の通り「県民の台所」として、県内各地からやってくる買い物客で大賑わいだった。特にお盆や旧正月になると、お供え物を買い求めるお客さんが詰めかけて、深夜まで客足が途絶えなかったという。

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筆者

橋本倫史

橋本倫史(はしもと・ともふみ) ノンフィクションライター

1982年、広島県東広島市生まれ。著書に『ドライブイン探訪』『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場の人々』『東京の古本屋』。最新刊は『水納島再訪』(講談社)。琉球新報にて「まちぐゎーひと巡り」、JTAの機内誌『Coralway』で「家族の店」を連載中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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