北野隆一(きたの・りゅういち) 朝日新聞編集委員
1967年生まれ。北朝鮮拉致問題やハンセン病、水俣病、皇室などを取材。新潟、宮崎・延岡、北九州、熊本に赴任し、東京社会部デスクを経験。単著に『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』。共著に『私たちは学術会議の任命拒否問題に抗議する』『フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義』『祈りの旅 天皇皇后、被災地への想い』『徹底検証 日本の右傾化』など。【ツイッター】@R_KitanoR
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「主権免除」の壁を一部突破、判決は「地上の楽園」宣伝の虚偽性を認定
3月23日、原告弁護団が「日本の法廷で初めて、北朝鮮政府が被告となった」と述べた訴訟の判決が東京地裁で言い渡された。五十嵐章裕裁判長は、原告の請求をいずれも退けた。原告は敗訴の結果に落胆し、「大声で号泣したい気持ちです」と嘆いた。支援者のなかからは敗訴を残念としながらも「判決は一歩前進だ」と評価する声も出た。
裁判を起こしたのは、東京都在住の川崎栄子さん(79)ら男女5人。いずれも1960~70年代に、在日朝鮮人らを対象にした「帰国事業」(帰国運動や帰還事業、北送などともいわれた)によって朝鮮に渡り、2001~03年に北朝鮮を脱出(脱北)した脱北者だ。被告は「朝鮮民主主義人民共和国」で、代表者は「国務委員会委員長 金正恩」。北朝鮮政府を相手取り、総額5億円の損害賠償を求めた訴訟だった。
川崎さんは判決が言い渡された後、原告席で顔を突っ伏したまま、しばらく動かなかった。そのときの心情について、判決後の記者会見で私が尋ねると、川崎さんは「大泣きしたい気持ちです」と憔悴した表情で答えた。
川崎さんは脱北後も、北朝鮮に残してきた家族と連絡をとり、日本から荷物を送っていた。しかしコロナ禍のため、2019年を最後に連絡が途絶えたまま、荷物も送れず電話もできない状態が続いている。「今日、勝訴していたら、自分の家族と再会できる道が開けるんじゃないかと期待していた。その道が遠のいてしまった」と嘆き、記者会見場でも顔を伏せた。
原告5人のうち、判決に立ち会ったのは川崎さんと、斎藤博子さん(80)、石川学さん(63)の3人。斎藤さんは足が弱って歩くのがつらそうだった。また榊原洋子さん(72)と高政美さん(61)の2人は出廷できなかった。支援者らが出席して開かれた判決報告集会で、川崎さんは「命には限りがある。今日の判決には5人のうち3人しか参加できなかった。結果を一刻も早く出さなければ、間に合いません」と強調した。
原告代理人の福田健治弁護士は、判決の結果に「非常に不当だし納得いかない」として、原告5人全員が控訴の意向であることを明らかにした。そのうえで、「北朝鮮による人権侵害を日本の裁判所が裁くことができるということを示した」とも述べた。
原告にとっては、結論だけを見れば請求がすべて退けられた判決ではあった。ただし、すべての請求が門前払いの「却下」とされたのではなく、訴えの内容を審理したうえで請求を退ける「棄却」とされた部分があったことには、原告弁護団も注目している。
被告が一切出廷しないまま審理された裁判で、東京地裁判決は何を認め、何を退けたのか。